和菓子と餅のことなら鳥取市のホテイ堂へ。謹製御菓子・季節の菓子・御引菓子を紹介します。

森林太郎

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谷口ジローさんの漫画を読んで、漱石の次は森林太郎、すなわち鷗外です。

生まれは1862年文久2年ですから、もう京都では勤皇の志士で賑やかだったと思います。

が、津和野は静かだったのかな。そう、津和野で生まれました。

この人も頭いいですよ。軍医総監だそうな。偉い人です。

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に出て勉強し、ドイツにも行って勉強し、だが、ドイツで恋をしながらも、日本的な家の都合でその人とは成就せんかった。女の人は日本まで来たのになぁ。とにッ!

その後寂しかったに違いない。だから外の鷗なんだろうかな?そして出世はしたんです。

「ファウスト」を訳してる。自らに照らし合わせたんでしょうか。

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おもしろいのは風呂に入らなかったそうな。医者だのにねぇ。宮本武蔵みたいです。もっとも体を清める作法は独自に持っていて、きちんと体を清めてはいた。

この人も漱石と同じく神経症のところがあったようで、特に細菌を知ってからはこれを怖がったそうです。

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また、正岡子規とも会っているんですねぇ。ほんと日本の黎明期といえばいいのか?

日露戦争までの日本にはたくさんの人物が出てきます。

ワシはしかし、せいぜい司馬遼太郎の「坂の上の雲」くらいしか呼んでない。

幕末はよく読んだけどなぁ。

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で、この鷗外が書き残してる言葉に「学問の自由研究と、芸術の自由発展を妨げる国は栄えるはずがない。」とあります。

偉い人だで。

だがちょっとなぁと思うのは、二人目の奥さんとは18歳の差。若い奥さんだで。なぁ、いけんで。

ワシの年から18歳を引くと、ありゃ、おおかた50歳になるわい。はは、そんな差なんていまやどうでもええか。

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ところで、谷口ジローさんは鳥取商業の卒業です。

実家はどうも川端1丁目あたりらしいから、毎日のように学生服で自転車に乗り旧9号線を湖山まで通っていたに違いない。

ワシとは2歳違いなんで、同じころ同じ旧国道をボート部の練習で湖山池まで通ってた。

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まぁ、しかし、その数人のボート部員の中からは漫画家は一人としてでてこなかった。

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