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九州へ行ってきました⑤

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九州とは関係ないけど、今日(23日)のニュースで平尾昌晃さんが亡くなったって云ってた。我々が親しんだ歌や、ドラマを作った人たち、歌手や役者が亡くなっていく。順番と云えば順番だ。さほど遠くなく我々団塊の世代にもその順番が回ってきている。

さて、体が動くうちにと出かけた九州。鹿児島です。

予定ではここ鹿児島を12:47発で13:59に知覧武家屋敷。15:14に武家屋敷を発って15:17に特攻観音入り口着で知覧平和会館を見学なんです。

で、最後は枕崎までバスです。薩摩半島を南西に向かって縦断します。ただ、バスの便は多くない。いや、とても少ない。

駅前の停留所はアスファルトとセメント。暑いですよ。蒸せる。そこでバスを待っているんです。

どんよりとした空の下、汗がじとじとしながら待つうちに女将が云った。

「武家屋敷より平和会館へ行ったほうがいいかもなぁ。雨が降っても大丈夫だし。」

「ここまで来とっだけぇ(武家屋敷も)いかないけんわい。」とワシ。

バスが時間になっても来ない。また時刻表を見るも時刻は過ぎてる。なんでだ?もう行ってしまったのだろうか?さっきのバスに枕崎と行先が表示してあったが。でも知覧とは書いてなかったし。などと不安に思っていたんです。

が、遅れてやってきました。枕崎、知覧と表示してある。乗客は少ないですよ。

一度おにぎりを出して開きかけたが、なんか、食べにくく、もう少し街を出てからと思ったんです。

と、雨がぽつぽつと窓に斜めにあたる。

バスが走るうち、なんかめんどくさくなって武家屋敷はやめようと女将に言いました。

武家屋敷近くになって女将は「ええだか?」と問うてきましたが、そうきめたんです。で、その停留所あたりではかなりの雨でした。

この後のありようを考えるとこの選択は正しかったようです。

で、知覧平和会館を見学することなりました。これがバス停を降りてから平和会館までけっこう距離があるんです。歩くんです。雨の降りそうな空のもとです。あまり観光客もいない。

中は撮影禁止なので、写真は有りません。ネットで見てください。

ここは陸軍の特攻基地があったところです。

陸軍の戦闘機である「隼」と「疾風」があり、海からあげた海軍の「零戦」の前方部分だけが陳列してありました。それとベニヤでできたモーターボート「震洋」も。そしてたくさんの特攻員の写真。

なんとも言えません。

ところで、海軍の特攻基地も鹿児島にあるんです。それは大隅半島の鹿屋です。現在は自衛隊の基地となってる。

陸軍も海軍も若い特攻の人たちは最後に海際にそびえる開聞岳を見ながら日本に、家族に別れを告げて沖縄方面に向かったに違いありません。

「飛燕」は陳列されていませんでした。聞くと岐阜から借りていて、そちらへ返したとのことでした。日本の戦闘機ではめずらしく液冷のエンジンであり見たかったです。

この地域は道路際の歩道に灯篭がたっています。こんな眺めは他にはありません。たぶん特攻員の家族とかが建てたんだろうと思うんですが、なんとも、どういえばいいのか。

女将の父親は海軍のパイロットでした。少し違えば鹿屋から沖縄へ飛び立っていたわけです。結果はわずかの違いで、源田実の傘下三四三空で紫電改に乗りB29と戦うこととなったのです。どちらもなんとも言えませんが、当時の最新の戦闘機で戦えたことは、まだ、納得のいくところです。

さてさて、我々は、いや、私はくたびれました。

もう歩きたくない。どこかで休みたい。あと、バスの時間まで40分ほどか?なんか休めるところは?

少し歩いて冷たい知覧茶を飲んだり、だが、座りたい。

で、休めるところがありました。

コーヒーと書いたのぼりがたててある。

これが親切なところで、しっかりと休ませてくれました。

聞けばピザも作ってる。

「夜のご飯にピザ買おうか?」女将の言葉。

「ええでないか。」とワシ。

ちゃんと乗るバスの時間に合わせて焼いてくれました。

で、最初から目についていた焼きたてのパン。買いましたがな。半分。マーガリンとジャムを付けてくれました。買った量の半分ほどを鳥取までもって帰ることになりましたが、焼いて食べたらやはりうまかった。

ほんとにバスの本数が少ない。16:26発の枕崎行きです。これのがすと、あと一本で18時をすぎてしまう。

ちゃんと来ましたよ。枕崎行きのバスが。

 

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