和菓子と餅のことなら鳥取市のホテイ堂へ。謹製御菓子・季節の菓子・御引菓子を紹介します。

仙台、会津、日光、横浜への旅⑦

この最初の頃に、女将が「青葉通り」を見たいて言ってたのは書いたと思う。ところがこれが少し違ってたようです。

バスの中で女将がパンフレットを指さしたのは「定禅寺通市役所前」とあるんです。そこの写真にはたくさんの並木が映ってる。まさしく「杜の都仙台」っていうような感じです。

これ、バスの中から撮ったもの。

降りましたよ。緑の中に。

道路全体がケヤキに覆われてる。これはすごいですよ。気持ちもやわらぐんです。広い道路全体が木陰。木洩れ日の下。

これって中央分離帯ですよ。演奏会なんぞもやってた。ただ落葉の始末は大変だと余計な心配もしてしまう。

ここの印象が仙台では一番かなぁ。そう感じる。

そうはいいながら、ここが最後ではない。

仙台駅から循環バスに乗って最初のほうにあった「瑞鳳殿」も見たくなったのだ。きっと豪華絢爛に違いない。そう予想したんです。当たってた。

一度仙台駅まで「るーぷる仙台」で行き、そのまま時間調整。で、朝乗った停留所でストップ。あのおじさんがまだ大きな声で観光客へ喋ってた。元気だと思う。そしてまたたくさんの客を載せて出発しました。

「瑞鳳殿前」で降りて、目についた町名の案内板。「霊屋下19(みたまやした19)」とあるんです。まぁ、仙台伊達三代の墓所ですから「霊屋」は分かるが、これに加えるに「下」とはなんだぁえ?考えるまでもなくこの標識を見ているワシ自体がゆるやかな上り坂に立っている。暑くて、また、坂だで。

最初お寺があった。「正宗寺」とある。ああ、政宗の名前か?と思ったが、正宗と政宗では字が違う。どうなっているのか分からんが、紛らわしいで。

ここをすぎると

ほーら、また見事な石段が目の前に開けます。観光客は坂と暑さに負けかけながら、ゆっくりと登ってる。我々もこれに倣う。

と、これは手を洗い、口を清めるところだろ。とすれば神社なのか?どうなん?

そういえば家康を祀る鳥取の「因幡東照宮」の雰囲気に似ていなくはない。

鳥取30万石の東照宮はこんなに派手ではない。

ほんとに伊達さんはゆたかなのかもしれない。62万石だったかな。

たいしたもんですよ。

ここには仙台伊達藩の三代まで祀られている。ところで政宗は身長159cmで血液型はB型だそうな。女将がそう嬉しそうに言っていた。そう、女将はB型なんです。実家は親も弟も皆Bであった。さらには何ゆえか弊店の職場には6人中3人がBで、2人がAB,そしてA型は一人という、日本人の割合とはまるでちがう。B型の圧迫にA型は心細いのである。はは。

これが政宗の霊廟です。絢爛で豪華。徳川さんに負けたくなかったのかなぁ。秀吉が亡くなり、家康が征夷大将軍になって世の中がおさまって来た。天下をとりたかった政宗は生まれてくるのが遅かった,と言ったそうだが、そんな気持ちが伊達家に流れていたのかもしれない。

実質石高は多い時で100万石を超えていたらしいから、江戸時代多くの大名が貧乏してたのに、ここは違ってたのかもしれない。

このときには、まだ陽明門は見ていなかったが、それはこんなではないかと逆に想像させる凝りようですって。

ここまでその威厳というのか、力を見せる必要があったのか?

考えてみれば権力者も大変ですって。

また明治になってから、さらに残すのが大変だったとは思います。今や、観光の重要なポイントになっているんで、経済的にはいいのかなぁ。ただ。これって墓なわけで、世界中から観光でぞろぞろ来ていいのかな?とは思う。いえばピラミッドもそうか。

そして資料館などは時間の関係で見なかった。

歩き疲れてバス停留所近くに帰ってきたのです。すると氷の旗(?)と、ソフトクリームの小さな看板が目に入った。

私から「ソフトクリーム食べるか!」なんてセリフは極めてめずらしいのですが、今回はこの小さなフィギアのソフトクリームに負けた。店内にはいり、椅子に座れたし、氷の入った水もおいしかった。

5月26日だのにねぇ。暑いゎ。

で、名残惜しく、「るーぷる仙台」に乗って、一度目と同じコースを回って仙台駅へ到着。

700円だったと思うが、コインロッカーからスーツケースを取り出して駅の構内へ入っていきました。

このコインロッカーって時間単位の代金にすればいいのにと思う。一日でも半日でも700円てなぁどういうことだい?いけんで!高いがなぁ!

さて、これで仙台観光は終わりです。

つづく。

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