» オランダ旅行のブログ記事

昨晩の、窓を開けると冷たい風。

よかったぞい。

さて、デルフトです。

途中の様子ですが、事故があったようでパトカーは載せられ、大き目の車はレッカーされてました。

どれ位のスピードでぶつかったのか?

まだ途中で、イケアです。

ここで昼食をとったんですが、ごっつい大きな店で、品物もものすごい数。

大阪に帰ってきたら日本にも出来てた。なんていうのか物があることの幸せが東急ハンズとは違った種類ながら感じられた。

食事は何を注文していいのか分からんかったがとにかく大勢とともに食べた。

メインは日本の竹の串にさしてあった鶏肉なんだけど、その他注文しすぎた。

そしてデルフト。

フェルメールが生まれ暮らした町です。

人口は現在10万人弱。ずっと雨。

よって車から降りて歩ってない。

もっとも、これまでにたくさんの町々を見てきたがそんなには変わらん。

フェルメールは1632年の生まれ。

徳川三代将軍家光の頃です。

貧乏でした。まあ、絵描きってのはたいていそうです。

今は人気がでてて、、、高いで!

生きてるときに見とめりゃいいのにねぇ、一般の人も。

ちょうどホテイ堂の和菓子がなかなか認められんのと同じだわい???

水が極めて近い。

この画像を見ればわかるけど道路と運河とは20cmほどかな。

ましてや道路も狭い。車を運河へはめた人もいると思うで。

古い町にも若者はいる。雨が降るのに。オランダ人は雨をあまり気にしない。

古いヨーロッパの町はどこでも観光地になると思う。

ここに住んでる住人には当たり前の風景なんだろうと思う。

日本のことをよく知った上で比べるとかなり面白いと想像できる。

建物では石と木。髷は結わないだろうし、刀も違う。考え方もそれなりに違うだろうなぁ。

そうそう、見んかったけどデルフト焼きというか磁気も有名だわい。

これでこの旅行の古き町の見学も終わりです。

いやあ、撮った写真を整理しながらこのブログを書いているけれど、そうしなければいっときに観光したので頭の中に同じような石造りの教会やら建物がこんがらがったままになっていると思う。

で、16日は終わった。17日はいよいよ帰りの準備、荷造りをしなくてはいけない。

この旅行も大詰めにて、休まずに23としてブログをすすめる。

昨晩鳥取は、超涼しかった。

天の恵みともいえる涼しさでした。

今日もそう、餡を炊くのに地獄ではなかった。天国でもないけどねぇ。

さてキンデルダイクです。

このブログを書きながら実はもう一度旅行してる。

はは、要するにネットで確かめるために調べながらも書いてる。

だから二度目の旅行となるんです。

するとこの地域の画像は、こんな曇りのほうが多いような気がする。

まあ、北海が近いからかなぁ。

だけどかなり我々の行ったところは世界遺産だけに他のブログにもでとる、でとる。

してみれば直行便としては唯一のKLMの働きはすばらしい。

ここにも観光船。水と一緒の国ですよ。

造船も盛んであったろうと思うんですが、幕末時に幕府が買った咸臨丸も開陽丸もこの国でつくられたものでした。

ところで風車の一つが見学用とされている。

ここにもたくさんの日本人の足跡が残っているに違いない。

いかにも係りの人は木靴はいてる。

なんで木靴なのかと思う。

水に浮いて無くならないからか?

たぶん違うで。

その内部なんだけど階段は急で大変。

さらにどこも狭い。ベッドも狭い。背の高いのが特徴のオランダ人なのにこれでは頭を打ったりベッドでも足を折って寝なきゃならないような、そんなきがするんだけど、、、昔の人は背が低かったのか?

これも違うで。

なぁ。

道具類も展示してある。

狭いけど、なんかそのぶん落ち着く感じがする。

冬は大変かな、と、思う。寒いで、たぶん。

水路は凍るんじゃないかな。

強い風も吹くのかな。雨戸を閉めて家族水入らずもいいもんだ。

他の人のブログにもこれと同じ船の画像が載っていた。

すずめです。

日本のものとは羽の柄が違う。まあ、日本のすずめと同じように人のよさそうな顔をしてた。

いや、以前ワシントンで見たすずめは人相が悪く、少し怖そうでした。

と、まあ、小雨のなかのキンデルダイクです。

土産の風車。

次はデルフトですが小雨故散歩は出来なんだ。

まあ、その画像を載せます。

続く。

とっとりでは今晩涼しいです。エアコン使わなくても良いなんて一ヶ月以上経ってると思う。

夕方スコールのような雨が降って、これが、ありがたいことに涼しい。涼しい。そういやぁ、虫の音も先日から聞こえていた。

さて、オランダ時間で7月16日朝です。

これからキンデルダイクへ向かいます。

オランダといえば風車が浮かんできますが、その風車がある世界遺産の地です。

これまでと同じように息子の車で走ります。

この一家には感謝です。

面倒だろうによくぞ様々なところへ連れて行ってくれます。

こういうのを世間では幸せというのでしょう。ほんと。

この日天気が少々悪い。

今にも降りそうな雲。

雰囲気としては田舎のほうへ走ってる感じ。

まあ、昔はそうじゃなかったろうが、どんどん新しい大きな町が出来たと思う。

なんせここの19台の風車は1740年に造られたそうな。

日本では江戸時代。まだ吉宗が将軍でいるかどうかといった時代。

江戸もけっこう干拓はしてる。

深川にはたくさんの運河もあった。いや、今もあるかもしれない。でも風車はないなぁ。

今はこんなポンプで水をあげてる。

大きなミンチ機の中身みたい。いろいろとやってみてこれが一番となったものだろう。

これポンプ室。

ごっついやつが数台あった。

小雨のなかを資料館へと歩く。肌寒い。

日本とは気温がぜんぜん違う。大阪は南で汗かいて南海電車の駅に行ったのは嘘だったのか。

また、自転車だわい。

どうも貸し自転車だと思う。日本でももっと自転車を利用すればいいと思う。

排ガスは出ないし、車に乗るよりは体のためにもいいで。

ただ盗られるおそれはあるわなぁ。でっかい鍵をつけると良いと思う。

さて、資料館。椅子が適当に並べてあって、なんと日本語字幕でキンデルダイクの歴史が説明されるんですが、日本人がかなり来るらしい。実際、なんとかツアーのバスとすれ違ったですわい。

映画というか、その説明を見て、聞くと、苦労、苦労の物語です。

一朝一夕では人が住むようにはできない。もともと湿地帯であれば水がとにかく邪魔をする。

だが敵からは守ってくれる。

なんでももそうでしょうねぇ。

一長一短があるもんですよ。

そんななかで風車が出来てくるんですよ。水を排水するために。

ところが排水しすぎると、水が少なくなって、今度は地盤が沈むという、難しいもんです。

だいたい北半球の努力しなければ食べていけないところというのが、どうも、色々発達させるようです。風車もその一つ。

イギリスでは蒸気機関が発明されました。

もっとも戦争の道具、武器もそうなんですが。

これが入るとすぐに日本語か英語かと聞かれた資料館。レンガです。

鳥取ではまた雨が降っている。

四代目は明日は米子のビッグシップに商品を販売に行くという。さきほどまで準備していたが、さて売れるといいがと思う。

ここも運河だらけ、水だらけ。

観光バスなんだけど入り口が二つ。列車も二階建てだったけど、このあたりはどうも二階建てふうなのが好きらしい。

ここの世界遺産にもきっと日本人がたくさん来てると思う。

ここまで書いて眠くなって来た。涼しいし、睡魔が襲う。

寝る。

続くで。

今朝に続いてアントワープです。

ベルギーで二番目の都市だそうです。

まあ、大きな町でも、我々が歩ったところは石畳の古い町でした。

日本だったらアスファルトだろうけどなぁ。

これ、トイレだ。50セントだったかな。

なんかトイレするたびに税金取られてるような感じでもある。

海岸に出たかなと思ったら、川だったようです。

ブルージュの繁栄がこの町に移り、さらにオランダへ移っていったようです。

で、ここには広場があり、移動遊園地といえばいいのか、たぶんジプシーの人かと思われるおじさんがメリーゴーラウンドをまわしていました。

その広場からも見えるノートルダム大聖堂(アントウェルペン大聖堂)だけど、背の高い、重厚ないかにもヨーロッパといった風情です。

建築するのにものすごいエネルギーだと思う。

これもトラックの荷台を開けば即店になる。

移動メリーゴーラウンドだ。孫が乗ってる。

外国の人も乗ってる。

いや、ワシらのほうが外国人だぞ、この場では。

この画像クリックして下さい。自転車のに2重連だ。初めてみた。

ほら、道路が石畳。石畳だで。

で、これでアントワープは終わり、次の日はキンデルダイクからデルフトへ行くことになります。

さすが郊外の道路はアスファルトではないだろうか。

石畳だとスピード出せれんわなぁ。

オランダとは農家のありようがちょっと違う。

ベルギーでは村になってる。オランダは一軒一軒が広い区画に建っていた。

さてもうオランダかな、ティルブルグも近い。

この時点で午後6時21分。

続く。

アントワープです。

地図見てもこのようには載ってない。英語読み、当たり前でベルギー、オランダ読み、フランス読みといろいろある。

われわれはフランダースのように英語だわい。いや日本語だわい。

「フランダースの犬」は明治の頃に日本へ伝えられたようで、そのアニメはいまだに見られてる。

昨日にはワシと女将がyou tubeで見ていた。

我々がこの町へ行ったのもこの犬と少年が原因。

この町のノートルダム大聖堂でネロとパトラッシュが亡くなるんだけど、悲しさをふりかけにして、ふりかけだらけになった濃い味の悲しい物語です。作者はイギリス人だったかな。

ルーべンスの絵にあこがれるネロが最後にたどり着くのもここでした。

ところでここへ入ろうとしたとき、私の前を女将が、その前をおばあさんが、いや、まあ、我々も年寄りで女将も実際におばあさんですが、もっとおばあさんがドアを入ろうとして杖を落としたんです。もっとおばあさんだから体も自由に動かない。床にころがった杖をとるのも自由にならないんですよ。

この入り口、そんなに広くない、人一人が、そうなあ、日本的にいうと半間弱といった寸法かな。

そこに半分開いた戸も邪魔をする。

すかさず女将はおばあさんと重なるようにして杖を拾い上げ手渡したんです。

すると、よほど嬉しかったのでしょう。女将の手を両手でとって

「ダンキュー、ダンキュー。」と感謝を絵に描いたようなありさまでした。

女将は日本語しかしゃべれないからダンキューに合わせて笑顔の顔をなんどもうなずくのみでした。

ネロとパトラッシュのまわりに女将のような村人がいたら冬の寒いときに二人とも(?)死ななくてすんだのにと思うんですがねぇ。

そしてまた女将が配偶者という隣人にももっとやさしくしたらば、さらに世界をを幸せに出来るのだがと残念に思うところです。

教会内に土産を売ってたんですが、なんと日本語版のフランダースの犬の絵葉書。

ローレライでもそうですが、歌なり、アニメなり、「ドラマ」物語は強いです。

何処の町でも教会がとてもでかい。

たいてい町でいちばんでかい。

まあ、日本でも五重の塔なんかあるけど、ヨーロッパは石造りだから、なんかなぁ、もっとごつさを感じます。

あと、町も歩ってみました。

続く。

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