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                                                                                             (画像、是非クリックして下さい。) 今日は休み。早朝はマイナス4度。 空は雪おこしがちょっと鳴ったりしました。雪は降っています。でも新しい乾いた雪はかえって車で走りやすい。 鍋とウイスキーを買いに行きました。 「このまま降ったら走れんようになるけぇ鍋買いに早よう行こうや。」と女将へ伝え、すぐに出発したのです。 無事目的を終え、さらにちいばあちゃん(私の母)の言いつけの買い物です。 そして湯所のSマート(県外の人にはわかりませんよね。近くの小さなスーパーで一番利用している以前は地元資本のスーパーです。)へヨーグルトを買わなければならないと向かったのですが、途中道草しました。 かって因州30万石のお城があった久松山(きゅうしょうざん)の麓。仁風閣へ行きました。雪が降っていていかすんじゃないかと気持ちが乗ったのです。 明治の頃大正天皇が皇太子のときにこの鳥取へ来訪。その時宿泊するために建てたりっぱな建物です。名前は薩摩出身の、そう、NHKのドラマ、「坂の上の雲」の東郷平八郎さんがつけました。画像通り白い洋館です。弊店ではこれを羊羹の名称「仁風閣」としで販売しています。これはうまい!!                                                                                                  ここはかなり気にいっている場所です。昔から。 一度この因幡へお越し下さい。いいですよ。春は桜。夏は緑多き息吹きのなかで蝉時雨。 我々夫婦の母校もあります。 死ぬまで忘れられぬ場所です。                                                                                                雪が降り続きましたが、かえってこの時期の鳥取らしくて気持ちが良いです。 お堀は降った雪が溶けずにシャーベットの膜となって表面に浮いていました。 冷たそうです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         母校です。 かって江戸時代はここから因州藩の武士が登城しまた下城していた場所です。 石垣の上へ我々の母校は建っています。いやぁ、なつかしい。 先日もクラブの二年先輩より電話がありました。OB会を開こうとのこと。 クラブはいってなかったら高校時代の時、何をしていたのか。 ボート部でした。 知ってますか?あの尾崎放哉は昔この母校が一中といった時代なんとボート部だったのです。 もっとも酒でかなり失敗というか‥‥なんですよ。                               咳をしても一人   いれものがない両手でうける すごい貧乏で孤独。 さらに   一人の道が暮れて来た なんて、これってあの有名なおじさんの句                            この道や 行く人なしに 秋の暮れ                         を思い起こします。 そんな久松山周辺の澄んだ空気の雪景色を楽しみました。 

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