» 2012 » 9月のブログ記事

ずっと、ちょびちょび中村彰彦さんの歴史小説読んでるんですが、この作者はとくに会津藩に思い入れがある人です。

で、幕末には会津藩は京都守護職を務めるんです。

やめりゃいいのにねぇ。

この義理堅い殿さんは松平容保さんです。

弟の桑名の殿さん、松平定敬は京都所司代を勤めてる。

とに、、、兄弟そろって徳川になんと義理堅いことか。

福井の殿さんの松平春嶽さんなんか途中で幕府から逃げてる。

まあ、世の流れ、お家大事です。

結局会津藩はむちゃくちゃやられて、一度は藩も無くなってしまう、確か‥‥。

だがこれが後に斗南藩3万石として許されて多くの家中が移住をするんです。

もと23万石、守護職の時には28万石が3万石ですで。

その場所が、なんと青森の三戸、五戸さらに下北半島の大湊あたりなんですよ。

大湊、むつ市、田名部といえば、ありゃりゃ、インターハイで行ったところではないですか。

地図でみるといまだ斗南の地名が残ってる。

もっとも廃藩置県をきっかけに多くの家中は会津や東京に生活をたてるために、また居を移すことになるんです。

でも、こんなこと知らなんだ。

さらにまだある。

会津の鶴ヶ城の引渡しを受けた官軍方は薩摩の桐野利秋と名前は忘れたが鳥取藩の者であった。

さらにまだある。

各藩の藩士も含めてトップもどこかの官軍方の藩へ預けられるんですが、松平容保が預けられたのが、最初鳥取藩でした。

知らんかったで。

まだ知らんかったことは、藤田五郎がこの会津家中と行をともにするんですが、この人は新撰組の三番隊組長、齋藤一その人なんです。

高校のころの漕艇クラブの顧問の先生でした。

さらに三年の時には担任の先生。

縁が深いのか。

青森インターハイの時には一緒に行っていただいた。

行く時には一滴も酒を口にしなかった。

宿でも口にしなかった。

帰りには十和田湖でますを肴に飲んでた。

おいしそうに。

そんな記憶がある。

後で聞くと願をかけてたとのこと。

おかげで出場校の半分よりは上の成績でした。

去年は先輩のMさんが亡くなり主なクラブの関係者が集まったとき、杖をついて出席されてた。

その先生が新聞に載ってた。

中嶋先生です。

お世話になりました。

ハハ、迷惑ばかりかけたような気がする。

みんな、ボートのみんな元気でいてほしい。

そう思う。

今日の早朝雷。

二度のパリパリどーん、ゴロ、バ!

絶対近所に落ちてる。

そして朝だのに夕立のようなスコール雨。

もう四季のある日本じゃない。

さて、

なんか忙しい。

儲からないのに忙しい。

いや、儲からないからええ気にならずにすんでいる。

さて、柿です。

「里の秋」

栗ようかんです。

「秋のおとずれ」女将が名づけたんです。

あと写真撮ってないがきんとんに栗をおいたものがある。

「山の実り」

画像がないので、なんともなぁ。

で、今いちばん作っているのが「くりまんじゅう」です。

いまや弊店のトップスターですわい。

最初遊びでこの大きさのくりまんじゅうを作ったのがトップスターのきっかけでした。

遊びは菓子の、嗜好品の原点のような気がします。

潤いですかねぇ。

昨日22日は彼岸の中日でした。

要するに秋分の日。

毎年和菓子屋は忙しいのに、、、、、

19日が彼岸の入りで、大女将が「墓参りしただか?」と毎年静かにうるさいので、今年は女将としては四代目に花を買わせて準備ばんたん。

19日の朝早く「わたしぃ、墓参り行ってくるけ。自転車でさっと行って来りゃぁすぐだけ。」もちろん開店前。

そのダンナとしては、こりゃぁ車の運転ぐらいせにゃぁならんわい。

と、車を玄関前に乗り付けて、買ってあった花も積んで、女将を乗せて寺へ出発したもんだ。

光明寺。

浄土宗のお寺です。

ここは欲が無くて助かる。

というのも、世の中くそ坊主が多くて、金、金さらに金。

銀行のものすごい得意先となっているのが目立つ。

いつも停める駐車場へ車を入れて、女将は花を抱えて塀の内へ。

ワシは水道のところへバケツ二杯に水汲みに。

たがいにやることはわかっているから、迷いがない。

同じ頃別な墓参りの夫婦が、同じような準備をしている。

この奥さんとは、、、あれ、女将が親しく話してる。

顔の広い女将だわい。

水汲み終えて、二杯のバケツをもって、我が墓所へ。

花は女将、水を変えるのはワシ。

てきぱきとしてる。

さて、線香と蝋燭は‥‥ライターも持って来とるで、、、と、さあ、線香とローソクは‥‥

「持って来なんだで。」

‥‥‥‥?

こりゃぁ海水浴へ行って水着もって来なんだようなもんだで。

その女将の知り合いが「ああ、ありますで。使ってもらわぁええですが。」

数本の線香をもらって、持参のライターで火をつけて供養したのでありました。

考えたら、これまでの法事のときに、お供えの菓子忘れたとかで、線香も忘れたことあったぞ。

ワシとりに帰ったこと複数回あったような気がする。

先祖は笑ってた。と思う。

これが、平和というものかも知れない。

鶴瓶さんはあいかわらずいい味だしてます。

二週にわたり鳥取県は大山町がロケ地となりました。

なんか嬉しくなってしまいます。

まあ、大山町といえば鳥取県でも西部のほうで、東部の鳥取市とは離れていますが、鳥取県なんです。

鳥取県。

いい人の多い鳥取県です。

この笑顔をみてつかんせぇなぁ。

みんなこんなんですで。

この大山乳業の青年は見たことあるで。

物産展なんかに来ているもんだわい。えらい緊張してる。

そりゃあそうだわなぁ。

たぶん、えらくあか抜けた草刈民代さんが突然たづねて来りゃぁ緊張せんほうがおかしいわ。

このおとうさんは鳥取生まれじゃないといってた。

おくさんの実家で芝生をつくってるが、その奥さんはかなり前に亡くなってしまったとのこと。

いまでも奥さんの思い出をしっかり胸にかかえて暮らしている様子。

歯は抜けててもえらい人だわい。

我が家ではちょうど食事の支度のころの時間なんです。

キッチンドリンカーの女将は発泡酒で喉をうるおしながら、時々テレビを見ては「あっはっはっはっは!」と笑ってる。

去年の夏大山に行きましたが、暑かった。

もと獣医さんが牧場してて、鶏も飼ってる。種の保存のためかな。たいしたもんだ。

「ちゃぼ」だ。

人がわからんでも、大事だと思うことはせにゃならん。

いや、したほうが後悔がない。

香取開拓村。

今では乳製品を中心に頑張ってる。

飲むヨーグルトなんてのもある。

そう、こんど、また、個人的に大山行こうと思う。

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