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「映画を見た」の続き

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10月18日に書いた「映画を見た」の続きを書こうとずっと思っていた。

ニミッツの事を書こうとしたんです。アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官です。

この人は日露戦争が終わった年(1905)に日本へ来て東郷平八郎に会ってるんですよ。後の部下のスプルーアンスも同じときに会ってるんですが、東郷さんと話をしてニミッツさんは東郷さんを尊敬してしまったんです。

で、これがきっかけになり、日本の戦術を研究したらしい。

この戦術、日本海海戦では特に秋山真之がT字戦法なんぞを考えたりしてバルチック艦隊に勝ってしまったんですが、こんなのをニミッツさんは研究したらしい。

ところで秋山真之はアメリカへ戦術研究へ行ってたんです。これを行かせたのは山本権兵衛さんで、あの鹿児島の加治屋町生まれですよ。

東郷さんもこの加治屋町生まれ。

西郷さんをはじめとしてたくさんの偉人がここの出身です。狭い町内だのにねぇ。ちょうど長州の松下村塾に集ったようなもんですかねぇ。

この山本権兵衛さんはロシアとの戦争には反対の姿勢でした。しかし準備は整えようとしていたんです。海軍の大リストラをやり、優秀な兵卒は士官にも採用しました。船も買った。イギリスから、アメリカから、さらにはアルゼチンからも買ったんです。

資金を集めたのは高橋是清だったかな?

とにかく一心に準備したんです。

そして準備がととのってから日露戦争に臨んだわけです。

アメリカも真珠湾攻撃(1941)以後あわてたようにルーズベルトの指揮のもとに、例えばニミッツさんなんぞはこの人の上に40人近くいる先輩を抜いて司令官になったりしています。

決して官僚的ではない。

日本は日露戦争以後には、どうも慢心があったようで、このことは、たとえばニミッツの上官であるキングさんが若い時に日本へ来て、白人に対して日本人が横柄な態度をとることに気を悪くし、日本人嫌いになったとか。

太平洋戦争に日本は負けたんです。

ところでニミッツさんが勝利後(1945)日本へ上陸すると、東郷平八郎が乗って指揮をした旧日本海軍の旗艦であった「三笠」がダンスホールだったかな、遊び場になっていたんで、東郷さんを尊敬するニミッツはかなり怒ったようです。

その後、「三笠」の復元に尽力するんです。さらに東郷平八郎の国葬の時には参列してるんですよ。東郷神社にも多額の寄付もしてる。

そんなのがきっかけでニミッツの生まれたテキサスに東郷平八郎が住んでいた官舎が復元されたり、日本庭園が造られているんです。

日本帝国海軍も、陸軍もただ単に物量の差だけではなく、いろいろな準備自体ができていなかった。そんな気がします。

まずは横須賀へ「戦艦三笠」を見に行かないけんわい。

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