仁風閣の画像がきっかけで、さらにほかの仁風閣も載せようと、ブログを記します。
だが、タイトルはカステラだで。
このカステラなるもの、日本に伝わって来たのが信長の時代。
もともとはスペインで作られていたものです。
で、弊店の物は大阪時代に焼いていたのですが、これでは時代にあってないのでは、と失敗を繰り返しながら、新しく作った物です。
40年以上前だったでしょうか。
さてさてこの画像は4月に撮ったものです。
仁風閣に仁風閣(羊羹の菓子)を配達に行った時のものです。
で、カステラの話。
私は他の商品を開発せねばならなかったので、このカステラを当時手伝ってくれていたHさんに教えて、焼いてもらってたんです。
その後、Hさんが弊店の四代目に教えて、これに工夫を加えて行ったんですよ。
だからワシが焼かなくなってからごっつい時間がたっているんです。
四代目がいなくなってから2年と2か月余り、その間このカステラはどこにもなかったわけです。
今年の2月の終わりに体を患い、3月に手術。
これにはなんとか続けたいと思ってた得意先をも断りました。
まぁ、それはそれで仕方なかったんですが、時間が余るときもできて来たんです。
(次の画像は4月のものです。)
それで考えたのが、「カステラ」ですよ。
昔は滋養食にもなっていたんです。
箱詰めしたあとの残った端っこも久しぶりに食べてみたいしなぁ。美味いで。
だが、うまく焼けるか?
大いなる疑問だで。
後期高齢者の頭の記憶もきっと中古の車、廃車近い車のごとく崩壊してるに違いない。
いや、チャレンジだ、この際チャレンジが大事なんではないかと、長い間使われずにおかれたままになっているカステラの道具を二階の倉庫から工場へ、腰痛に気をつけながら螺旋階段を下してきたのです。
と、まず洗わないけんがな。
さらにオーブンに入れて乾かしもかねて熱消毒。
ところが、あれがないぞ、これがないぞ、と、少々戸惑いました。
それで、まあなぁ。はは、まぁ、焼いたで。
あくる日切ってみた。
そうなぁ、食べはできるで。
だが、火の入りようがよくない。
これは方々の身内や、知り合いに行くことになった。
この時の始末の決め方、女将の速さは早かった。
明日、また、チャレンジだで。