2月は「おいり」の卸をやめたので、毎日付けてた生産額が、ものすごくガタ減り。
さらに四代目に続いて主たる職人がやめて、今や我々老夫婦とやはり年取ったパートさん二人となったわけで、なんとも「神」がいるものなら、なんといたずら好きなんでしょうか。
これに加えて癌の告知も加わる。
踏んだり蹴ったりというが、戦車でひかれたみたいです。
この画像去年の夏も過ぎたころに咲いていた小さな朝顔だが、やはり気にかかる。
なんでかしらんが、また載せた。
で、楽しい話題からいこうと思う。
弥生三月、春ですよ。
弥生はさらに草木が茂るなんて意味があるらしい。
木へんに春で椿。
画像はバラのように華々しいが、これ椿なんです。
毎年店の中で咲いてます。
そして、いくら歳をとってもずっと「春」という、境港の妖怪にもにも負けない人もいます。
そう、毎年この時期画像に載せてる「ザ・女将」です。
大きな口での強烈な笑い。
誕生日のプレゼントをもらったんですよ。
嬉しくってたまらないらしい。
以前の誕生日の画像を見て、「こんな笑い顔のお菓子屋さんだったら、美味しいに違いない。」
そう言って来店したお客さんもいた。
そして、明るくない話題に移る。
三月になると、とにかく検査ですよ。
手術にあたっての検査の連続。
MRI、エコ―、普通のレントゲン。
肺活量の検査まであった。
その後12日にいよいよ入院ですよ。
女将は店を休んで付き添っでくれた。
部屋はひとり部屋で、この一週間の間に、買っている本もやっと読めるかなと、さらにはパソコン内の写真も整理できるかなと、ワシも馬鹿だわなぁ。
入院生活の実態をわきまえていない。
この日はまだなにも考えてない患者であった。
部屋は5階。
窓から中国電力が見える。そしてその近くに西中も見える。
ちゅうことは我が家はそのすぐ近くだで、と少し安心した気分になったんですよ。
女将は閉店後、毎日来てくれるんで、いやぁ、ありがたい。
一人で何を食べているのかと、心配してたが、手術日だったか、ワシ食欲ないし、女将が変わって食べた。
さて、手術日。
前日にシャワーで体も洗って、いよいよ当日の朝ですよ。
「ちょっと待ってください。パンツ履き替えておきますから。」
看護師は笑って「( ^ω^)・・・」
なんと患者は歩って手術室まで、エレベーターにも乗って、すたすた行くんですよ。
看護師は画像にあるベッドを押して同じく手術室へ。
大きな金属製(?)の扉でした。
なかにはあずき色の制服で、元気そうな看護師さんたち。
ストレッチャーかな、乗って仰向けになり、すると一人の小豆色の若い女性の看護師さんが、「パンツ脱いどきましょう。」と指をかけて脱がされた。
こんな経験覚えがないぞ。
いやぁ、すごいですねぇ。
麻酔の担当医が「眠くなる薬をいれますよ~。」
すぐに、この言葉のあと、まったく記憶がない。
「Fさん!Fさん!(腫瘍が)とれましたよ!終わりましたよ。」二つの瓶を見せてくれながら、主治医の声に目が覚めたのです。
1時間少しの手術でした。
今度はベッドに乗って一人部屋へ帰ってきました。
こんなに早く終わるとは思わないので、女将はこの朝まだ来ていなかった。
それくらい、あっけらかんとした手術でした。
で、その後は点滴と下のカテーテル、尿道に刺した赤い液で満たされたカテーテルが体の自由を奪いました。
寝返りを打ってもいいと告げられるが、尿道から長い管がベッドのそばのなんて言うのか、支柱の下の方にぶら下がる大きな袋までつながってるんです。
下手に寝返り打つと抜けそう。
さらにはベッドの上に座れない。
ベッドはスイッチ一つで色々形を変えて、例えば上半身を起こしてくれるんだけど、カテーテルが膀胱まで通ったままなんで、ベッドに座ろうとしようものなら、ゴリゴリと邪魔をする。
結果食事するのにも、なんとか体制を工夫してベッドの横に立ち上がり、立ったままで箸をもつ。
こんなわけで、Wi-Fiの通じないパソコンでは、写真も整理できず、寝返りも打てないんで、体がすぐに痛くなり、本も読まず。
痛み止めをもらって早い回復を願いました。
そして一週間。
尿道からの管、カテーテルも血液の赤い色も少なくなり、17日には抜いても良しの許しがあって、なんと、看護師さんが抜いちゃった。
何という解放感、ベッドにも心置きなく座れる。
で、その日の夕方に主治医が来室。
だもんで、次の日18日の午前中には退院したんです。
午後には仕事。
女将は毎日来てくれました。
いやぁ、ありがと、です。
だがだが、こんなことではおさまらない。
膀胱の腫瘍は取れたが、再発を防がなならん。
今、その治療の実行中だ。