百年、一世紀ともいう。
1923年といえば、なんと、関東大震災があった年なんですが、この大事件より数か月前にこの鳥取市に小さな和菓子店が開店しました。
そう、ホテイ堂です。
日にちは分らない。
初代から聞いたはずだが、どうも、わからない。
開店してからというもの無茶苦茶働いたらしい。
一日の仕事を終えて二人して風呂屋へ行くと、閉まってたとか。
まぁ、男は店主になって、軌道に乗り出すと、いい気になるもんで、昔の写真にはそんな感じが出てる。
祖母は我慢強い人でしたねぇ。
最後まで祖父の世話をやりとげました。
あ、そうなんですよ。
弊店は今年の四月で百年になるんです。
その後半、半分にワシは携わったわけです。
ワシのかかわる前には昭和18年の鳥取大震災があり、もちろん太平洋戦争の最中で、大日本帝国もこの地震は内緒にしたらしい。
それでも、その時、兵隊であった父親は線路を歩って鳥取へ帰ってきたとのこと。
やっと、店、家をたてたものが、昭和27年の鳥取大火で見事に焼けてしまった。
そう、記憶にある昔の工場はバラックの簡単な建物でした。
冬はものすごく寒かった。
記憶にあるのは、確か、零下7度で、窓枠の部分に水蒸気が氷になって厚く固まっていた。
そして夏は暑かった。
もっとも、昔は夏は暇であった。
工場のセメントの床に木箱を置いて、それに座って歴史小説を読んでたこともありました。
大晦日。
昔は業務用の冷蔵庫もなかったので、正月に販売する生ものをラジオで紅白歌合戦を、さらには除夜の鐘をききながら作ってた。
そういえば、家族用の餅つきもしてたころがあった。
まだ幼かった甥たちは喜んでいた。
思い出せばいろいろなことがあるもんだ。
思うに、この間病気にならなくてよかった。
女将はあと十年働くと言っている。
ワシ、腰は痛いし、足はむくむし、冷えれば右足が痛むし、どうなるんかなぁ?
百周年、何をしようかと?
「ろっぽうやき」を101袋お客様に配ろうかとの有力な案が出ている。