そうなぁ、もう昔です。
今六十余歳なんですが、二十歳になって鳥取日赤病院へ入院しました。
それから永かった。
19ヶ月この日赤のベッドの上で暮らしてた。
まさしく暑いときも、寒いときも、です。
若者がこんなに世間と隔絶されてれば、そりゃぁおかしくなりますよ。
そんなとき、その気はなくても助けてくれたのは、高校のときのクラブの連中。
遠慮無しに病室にはいってきて、見舞いにもらった物を食べて帰ったりするんです。
若いから歌も歌う。
日赤のスロープ(階段じゃなく車椅子でも上がれるところ。ふだん人は通らない。)でギターを鳴らして鉄筋コンクリートのよく響くところで大声だしてたら、おう、しっかりした看護婦さんにしかられた。
そんなことyou tube 聞いてて思い出したんです。
その一曲です。
今、同級生が、この鳥取でがんばって商売してる同窓の一人が入院してる。