(画像は10月30日のものです)
昔NHKで「そのとき歴史が動いた」をやってたでしょう?
YouTubeでそれを仕事中に聞いてたんです。
最初「長篠の戦い」でした。
信長の三段撃ちのデビューですよ。
これがきっかけで武田家が滅ぶきっかけとなった。というのが小説なんかで書いてある事柄なんです。
まぁ、そうなんです。
が、信長の三段撃ちは、この鉄砲の三段撃ち作戦だけで勝ったわけではないようです。
もっと準備を整えていた。
砦というか城も作った。
歴史の表面には出てこない、とんでもないほどの土塁、空堀、馬房柵とたくさんの準備をしているわけです。
そりゃぁそうだと思いましたです。
山登りだってたくさんの準備をしてないと、これをおこたると大変なことになってしまいます。
次に武田信玄さんですが、これは時の日本で一番の弓取りと言われました。
一番の実力の武将だと思ってた。
ところが、この人の苦労、努力は大変なものです。
武田晴信と云うった時代はとても家来たちがついてこない。
「人は石垣」どころか、石垣が言うこと聞かないわけです。
信玄の家来に対する気遣いたるや、これまでのイメージからでは信じられない。
いわゆる、ドラマの殿さんではないんです。
そして実力ナンバーワンの武田軍として完成するのが家康との対戦であった「三方が原の戦い」の時だったそうですよ。
この後53歳の信玄は間もなく倒れて亡くなるわけですよ。
ねぇ!人間て、歴史上でも有名な武将だろうが大変だで。
さらに息子の武田勝頼ですが、多く父親の信玄と比べられて、だいぶ劣るように思われていましたが、領土を以前より広げてたりするんですよ。
一生懸命だったと思うし、かなりの実力者だったようです。
最後天目山で亡くなるんだけど、たしか妻も一緒に自害するんじゃなかったんかな。
視点を変えれば、愛情物語が小説に出来るんじゃないかなと思うんですがねぇ。
信玄は小説では諏訪氏の娘である湖衣姫、または由宇姫に大変に惚れたんですが、勝頼は北条氏から来た嫁に惚れてたんですよねぇ。
最後までこの嫁は勝頼に付いてきたわけで、ええがな。なぁ。
戦があたりまえの時代だからこそ、夫婦とかの想いを大切にしたのかもしれない。
勇将の柴田勝家とお市さんもそうでしたねぇ。