6日だったと思います。
親戚からもですが、米を知り合いからお世話になってます。
直接農家ですから値段も安いし、第一味が良いです。
いつものようにこのTさんに女将がケイタイで米を注文するのに、何かおかしい。
あとで聞くとTさんのお母さんが元旦の日に亡くなったとのことです。
あくる日本人から聞きますと、
入院されていたとのことですが、正月で家へ帰れると楽しみにしていらっしゃったとのことです。ところが急に吐きその病院より電話にて家へ帰るのはちょっと待ってくださいとのこと。これがすぐに来て下さいに変わり、結局亡くなったとのことです。
さらに、10日に「おいり」の準備にて生姜を注文しようと毎年購入しているスーパーへ電話したのです。
ところが、そこで聞いたのが、7日に I が亡くなったとのこと。
「えーーー?なんだぁそりゃぁ!」と思わず声にしました。
この I は同級生。我々身近なうちでは稼ぎ頭というのか、日航のパイロットでした。
当時としては皆がうらやむようなというのか、時代のエリートだったと思います。
アメリカへパイロットの訓練で渡り、現役ともなれば給料は日航の社長と同じくらい。
妻に迎えた人もスチュワー□△、いや今で言う客室乗務員で三カ国の外国語を操るという才女。また一流企業の役員の娘ときたもんです。
さらに娘をアメリカへ留学に出しているとも聞いたことがあります。
あるときアムウ△ー、という、なにかねずみ講で問題になったものがありましたが、それに入らんかと鳥取へわざに帰ってきたことがあります。
どうも、金のあるところは、我々よりその使い方を、その値打ちをよく知っているらしいです。
私は、とりあえず入りましたがすぐにやめました。
きっと、現在日航は色々問題はあるものの I なりに自分なりの生活を送っているものと思っていたのです。
なのに、こんなに早く亡くなりました。
なんなんでしょうか、あっけないものです。
これで終わりかと思いきや、11日には弊店の斜め前の洗濯やさん。暮より入院しているとのことでしたが、忌中と貼ってある。
亡くなったとのことです。
そうそうにその店前の自販機を引き上げに業者が来ていました。
夜は大きな看板に灯が少々派手に輝いていましたが、暮れからは点いていません。