鳥取の言葉というのは東京に行っても、大坂でもそんなに苦労せずにその都会の言葉に溶け込むことが出来ました。
だがその裏では因幡の方言が失われていったかもしれない。
さて、画像ですが、昨日は東京便の着陸の画像でしたので、今日は離陸の画像です。
私の好みですが、B737です。
画像クリックすれば大きくなります。
機体もよく見えます。
ものすごく少しずつなんですが、相変わらず司馬遼太郎さんの対談集を読んでいるんです。
で、対談の相手は誰だったか?とにかく偉い人ですよ。
その話です。
かって明治の時代に誰もが使える言葉を作家といわれる人たちが苦労しながらあみだしたとのこと。
代表的なのが夏目漱石だとのことです。
「吾輩は猫である」なんてのは、中学時代に我々が読んでも簡単に読めちゃった。
それ以前にはそんな文章は無かったそうな。
そりゃぁそうだで、各藩に分かれていたわけで、共通語は手紙です。そうろう、候文の手紙ですよ。
この当時電話があったとして、なんにも役に立たないと思うんです。わかり易いのが、薩摩と津軽の人が電話口で、話が通じると思いますか?
これは無理!
けっこう、今あたりまえのような、そうなぁ、NHKで言ってるような言葉はあたりまえでなかったわけです。
で、今日の主題はこれからで、標準語とか共通語とか、これは論文を書こうが、そう、電気製品の説明書にも使える極めて便利な言葉だそうな。
ところがこの言葉で、人?人が生きる?そんなことを追及すると否定せざるを得ないとのこと。
なんか、わかる気がするんです。
その、関東の人は冷たいと思ってた。
それは今たぶん言葉によるのではなかったかと思うのです。
それで、方言で、たとえば代表的な大阪の言葉で人生を突き詰めていくと、面倒くさくなってしまう。
と、記してある。
わかる気がします。
たとえの言葉が「しんどい」という言葉。
これは「しんどい」ので、じゃぁほかの鳥取の「えらい」とかの言葉ではやはり違う。
そんな、「土語」というそうですが、感情とかはこの方言でないとあらわせないとある。
そうだで、これは。
人工的な言葉と、その土地の言葉は生活感があるかないかですって。
あ、いや、夏目漱石はそこも追及していると思いますよ。
生き死にの話は生活感のある方言で話さないけんって。
土の言葉で話さないけんわい。
そこには先に生きていこうとすることが流れているに違いない。
鳥取で生まれた人は鳥取に帰って来てください。
元気になるから。
そう思うんです。