いま司馬遼太郎さんの「この国のかたち」の文庫本を読んでるんです。
けっこう、これ昔に読んだで、といった文章も出てくる。
が、どうも昔読んだのと、今回読んだのとでは、印象が違うんです。
今回のほうが重い。
一言でいえば靖国神社なんです。
安倍総理が参拝したと、中韓が「けしからん。」と伝えてきます。
まぁ、政治的なことはここでは他へおきます。
知っている人もたくさんいるとは思うのですが、しかし、我々は学校で習ったのか?そうでないのか。
覚えてない。
で、歴史です。
1868年、これって慶応四年でもあり、明治元年でもあるんです。
この年に戊辰戦争がはじまり、官軍方と徳川幕府方が争うわけですよねぇ。
新撰組も先頭を走ってた。
で、勝ったのは官軍です。
両方たくさんの死者をだしたわけですが、負けたほうは、残念ながらさておいて、勝てば官軍のほうです。
これって各藩の連中ですよ。それも旧各藩の思いを抱いて死んでいったわけです。
ここで、明治の新国家の考え方がでてくるわけで、これは封建時代の各藩ではなく、藩を越えた新国家のために戦死したのだと、まとめて、そう、国民として葬る招魂社が明治二年に東京の九段に出来るんです。
社会的価値観の大転換ですよ、これは。
これを発議したのは大村益次郎です。
そう、その前の名は村田蔵六です。長州の農民身分の医者です。
大阪の適塾の塾頭も勤めた、さらに幕府の長州征伐をしたとき、これをことごとく破ったのはこの人の作戦でした。
医者だのに兵学というか、軍学にすぐれてたんですねぇ。
さらに豆腐が好きで、湯豆腐かな、しょっちゅう食べてたそうです。
イソフラボンは頭をよくするのかもしれない。
愛想がなかったようです。
だから、暗殺されたのかもしれません。
どうも犯人は薩摩のKですよ。
この馬鹿が、私の名前と音が同じノブヨシなんですよ。
戊辰の役でも作戦を立てます。
それも優秀なものですよ。
あ、そうだ、招魂者です。
その日本の軍隊も武士ではなく四民による志願制の国軍を考えた人です。
こりゃぁ、時の武士連中には腹のたつことですよ。
だって、自らの立場を否定されるわけですから。
でも長州ではとっくにそうなってた。
奇兵隊ですよ。
高杉晋作の奇兵隊です。
変わった集まりの兵だから、奇兵隊。
当時、隊などとは言わなかったようです。
戦う組織は組と言った。
「鬼の平蔵」長谷川平蔵も徒歩組?馬回り組?そんなんだったと思う。
奇兵隊は長州の武士連中を簡単にやっつけてしまいます。
それが益次郎さんの頭の中で日本にも同じ考え方が広がるわけで、官軍の死者を慰めるのに藩をこえて超宗教の形式をとった招魂者を作ったんです。
ここまではよかったんです。
明治十二年この招魂者が神道によって祭祀される靖国神社となるんですよねぇ。
なんで?
これが日本だから?
このあたり難しいですよ。
太平洋戦争のときに南方に行ってた兵隊さんが飢えてたとき、弱った兵隊が「おれが死んだら、俺を食べてくれ。そうすればおれは故国へ、日本に帰れるから。」と、そんなこともあったようです。
神道は宗教?鳥居があって、神がいて、いや、でもなぁ。
文化?宗教だでなぁ。
初詣するのは?松飾は?
おみくじ引くのは?
ようわからんが、招魂社でした。