0すなわち零ってのはインド人が発見というか、発明というか、その概念を作ったのです。
と司馬遼太郎さんの対談集に書いてあった。
0がインドから日本へ伝わってくるあいだに、中国あたりで空となったそうな。
空とはほら般若心経にある「色即是空 空即是色」の空ですよ。
有でもなし、無でもなし。
桜が満開も、空。
冬に花もなく枝だけのさみしい姿も空だそうな。
そんな「空」です。
ゼロと空ってのはサンスクリット語では両方「シューヌヤター」と表現されるそうな。
ゼロってのは無限大とか無限小とかそんなことを考える能力があるってことで、思えば昔のインド人がそれに気づいてくれててよかったとそう感じます。
でないと我々普段の話も小さくなってしまうに違いない。
ただ「空」のほうは難しいで。
まぁ、縁起とかがからまってくるんでしょうねぇ。
そうだ、G7がきっかけで、かってのアメリカをはじめとして連合国の外相が広島の平和公園を訪れたそうな。
長い時間がたちましたが、よかったです。