暑いですねぇ。
今日の昼前鳥取へ来ていた孫たちが帰りました。
「特急スーパーはくと」でした。
改札口と階段をあいだに、お互いずっと手を振っていました。
さて、野辺地駅です。
地元の食堂で昼食したるも大湊行列車発車にまだまだ時間がある。
駅の待合室ももう一つ風通しが悪い。
で、ホームに出ていてもいいかと人の良さそうな駅員に問うと、次の列車は八戸行ですから間違えないようにと心配そうに注意してくれた。
で、ホームの、これは立派な待合室で文庫本をひろげるんですが、冬の風雪を考えて、りっぱな待合室が作ってあるのだろうと思う。
窓を開けたら、だんぜん風の通りがいい。
しばらくここでゆっくりと時間をつぶす。
田舎の駅というのはゆったりと気持ちがいいものですよ。
ほんとは昼寝したいが、このベンチでは無理だ。
そのうち、なんか、列車の気配。
貨物の電車でした。
目の前をスピード出したままで過ぎていくんですが、なかなかかっこいいです。
人に媚びてないデザインで気持ちがいい。
と、駅の待合室の客、高校生とかを相手にラーメンや、うどん、そばを作っていたかわいげな女性が、勤務が終わったらしく、ホーム側に出て、昼食を食べてた。
思うに鳥取でもなかなか勤め先がないが、ここでもそうだろうと思ったり、数少ない若い女性はきっと引く手もたくさんあるだろうと、思ったりして、私はどうも暇だった。
青森から乗って来たあおい森鉄道の列車が到着。
そろそろ我々の乗る快速「しもきた」も来るんじゃないかと、文庫本をしまう。
誰もいなかったホームにも人が増えて来た。
この次の列車がJRの「しもきた」のはず。
しばらく待つ。
影に居ればそれなりに涼しいんです。
そら来た。
これに乗れば下北半島の終点、大湊駅まで行きます。
ざっと一時間で着きます。
運転手が一人余分に乗っているようです。
鳥取の「智頭急行」と同じじゃないかと、JR線ではJRの職員が運転し、智頭急行線では智頭急行の運転士が運転するんです。
ここもJR線と「、あおい森鉄道」線があるわけで、そのたびに交代してるんじゃないかと、たぶん、そうですよ。
この画像、どうなん?
補修用の車両か?と思うんですが、ダイハツのハイゼットの運転席というか車の前部だけが付いてる。
しかもきれいに塗装され直してあるんです。
で、終点の大湊です。
地図では海ぎわを走っていますが、多く木々で両側はかこまれていたような、そんなだったと思うんですが、いや、違うかもしれない。
ほらね、終点なんです。
よう来たもんだ。
本州の端っこの駅ですよ。
もう来ることはないと思うんです。
これが駅。
49年まえの記憶はまったくない。
ホテルはこの駅と隣接していました。
午後二時過ぎで、チェックインは三時からなんですが、部屋へいれてくれました。
で、後の二組は午後五時でないとそろわないので、それまでになにをするか?
というか、他の連中がまさかここまで来るとは思わなかったので、旅行計画時点では、われわれだけでこの日、元競技会場へ行ってみるつもりだったのです。
だから余裕を取って早く着いたんです。
だがその後参加者が二組あるとなって、それがそろい終わるのが午後五時なんです。
まず荷物を部屋へ置いて、近くを散策することにしました。
特に斗南藩の人々の上陸地点がすぐ近くなんで、これを見ておきたいと思ってたんです。
で、北海道からずっと晴天続きの大湊の空の下へ出たんです。
49年前、宿の近くへパン屋さんが開店したばかりで、毎日のように、サンドイッチを買いに行きました。
苺ジャムやらピーナッツバターをたっぷりと塗ってくれたんです。
美味しかった。
通りへ出てすぐにそれかな?と思ってすぐ近くのパン屋さんへはいりました、とりあえず、ソフトクリームを求めて入ったんです。
若い女性店員さんでした。
「このパン屋さんて創業はどれくらいですか?」
「さあ、わかりませんが、古いですよ。」
結局昔のサンドイッチのパン屋さんか、どうか、わかりません。
もう一つ、そのパン屋さんへサンドイッチ、すなわち惣菜パンだけでなく、弁当、総菜、で、ソフトクリームも売っていました。
これって消費人口が少ないのでしょう。
いろいろ扱わなくては成り立たないわけです。
その付近では大きなビルでした。
かなりな努力だと思ったんです。
つづく。