私ばかり蚊に刺されながら、一晩寝れば朝。
この日14:00発の益田行に乗らなければなりません。
ですから実質午前中しか見学できないわけです。
朝ご飯は7:00からホテルのサービスです。
機械で押した三角おにぎりに紫蘇やら、若芽やら振りかけたもの、そして、ホテルの朝食にはかならずあるあの小さなウインナー、ゆで卵、さらには漬物、切り干し大根、で、なんといっても味噌汁です。これだけあればもう十分ですって。さらにデザートに缶詰のみかんのようなものまであった。
コーヒー、お茶は24時間無料です。
食べた後で写真撮ってないのに気がついた。
はは、食べちゃいましたです。
「まぁーるバス」も朝7時から動いてるんで、行きたいところを絞って、木戸孝允、高杉晋作の家、萩城としました。さらに昼ご飯も列車に乗る前に食べておかなくてはなりません。
ホテル前のバス停留所のベンチに腰かけてバスを待つんですが、この日は予報通りいい天気で、空気も気持ちがいいんです。
我々の時間じゃないが、やはり益田までは今日もバスだで。
駅前を見るともなしに見ていたら、なにか、えらいごついデザインが見える。
散髪屋さんでした。
鳥取にはこんなのありませんて。
だいたいこの街のパチンコ屋さんもえらくデザインめいてた。
何故か知らない。
そして、たぶん、もうこの街には来ないだろうと、この青空撮っておかなくてはいけんで、と、シャッター押したんです。
女将の意見で、まず明倫舎へ行こうということになりました。地図で見ると木戸孝允さんの家とか、古い町並みとかそこから近いんです。
なんか、少しなじんでしまったような場所です。
そうそう、現在の明倫小学校も撮っておこうとシャッター押した。
ほら、空も大きいが、校舎もでかい。
ごっついりっぱな小学校です。
歴史がそうさせたのでしょうか。
なんか勉強できそうです。
車もごっつい。
これがとっとりだと、コナン列車となるんだろうねぇ。
縦向きの一方通行の標識を見ながら我々は歩き出したのです。
歩き始めて少し経った。
電信柱にはやたら玉木病院の看板が貼ってある。
それを見ながら、「玉木文之進さんの親戚かな?」などと喋りながら歩んでいたんです。
だが、どうも、なんか町の雰囲気が違う方向に行ってるような。
出会った町の人に女将は聞いた。
90度方向ちがっているようでありました。
と、久坂玄瑞が立っていた。
なにやらどこかを指さしているんです。
指さすのは京都だろうか、さらには京都御所なのか?
道路の何かの蓋までが案内してくれてる。
先は近いぞ。
と、どうよ?これ。
道路はアスファルトだけど、この古い歴史っぽい感じはどうよ。
鳥取も大火がなかったら、ひょっとして残ってたかもしれない。
道路幅は同じような江戸時代の道路が鳥取の町にも残ってるところがある。
でも真っ暗な夜、一人で歩くのは怖いかもしれないな。
着きました。木戸孝允生家です。
ここは座敷へ上がって見学できるんです。
一人百円です。
生まれた家ということは、これは医者の家だったんですよねぇ。
後に桂家へ養子となるわけです。
で、最後は木戸姓ですよ。
なにか、こう、感じがいい。
生活感?自然な住み家?
当たり前の日本家屋。
冬は寒いだろうなぁとは思う。
水道ないし、風呂沸かすのも大変。
ま、それだけに風呂に入るときには、沸かしてくれた人に、ありがとうですよ。
現代の家とは違って、畳、畳の連続で襖でしきってあるんです。
これはプライバシーは守れない。
だが、なんなのかすごくなじむんです。
一度訪ねて下さい。
このあたり、りっぱな住宅が並んでいます。
しっとりと静かで、住むにはとてもいいところだと、思うんです。
つづく。