仁風閣です。
東郷平八郎が名づけたという。
東郷さんといえば薩摩の人でロシアのバルチッキ艦隊を完膚なきまでにつぶした司令官です。
その前は舞鶴の鎮台にいたんですが日本の命運をかけるときに日本艦隊の司令長官に任命されたわけです。
そして、やりとげた。
なんとも、です。
西郷隆盛とは同じ町内だったのではないかな。
その、さらに上官はやはり薩摩閥の伊東祐亨だったですよねぇ。
この人は日清戦争のときの司令長官だったと思います。
いや、まあ、当時の人は日本が潰れそうで、これじゃぁいけんわいと、命がけで戦ったんですよねぇ。
勝った。
勝つことは負けるより普通よいことなんですが、後大日本帝国軍はどうだったかな?
ろくな武器もないのに、庶民の兵隊を無駄に使い、作戦もかなり問題があったようです。
驕慢、傲慢、参謀本部のいい加減さがいわれています。
もっとも、これも日本が生み出した組織です。
はやく日本自体が太平洋戦争の意味をまとめねばなりません。
それからですよ。
もとにもどります。
いや、仁風閣はいいですよ。
毎年この頃にその近所に配達があり、帰りにシャッター押すんです。
話題は変わる。
四代目がサルサを買ってきてくれた。
うん。
このことはまた書く。