月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いをむかふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
これはあの俳句の神様が記したものです。
で、これは置いといて、、、、、
先日青谷へ行った時の事ですよ。
山の中、林道を鹿野町へ行ったのですが、山から下りたすぐの実った田んぼにコンバインが一台。
そのすぐそばの道路には軽トラが三台かな?
幼稚園から小学校の低学年の子供が数人走り回っていたんです。
同じ道路を通る我々はその子供たちに気をつけて通り過ぎました。
歳とった初老のおじさんも見える。
これから稲を刈り取ろうとするコンバインには、タオルを首から垂らした若いお父さんが乗っている。
ちょっと照れているんですよ、ちらっと見たその表情は。
そして畔には真っ赤な彼岸花、そう今年の曼殊沙華が数本咲いていました。
たぶん若いお父さんは、この日がコンバインで初めての刈り取りではないかと、、、ああ、これからこのお父さんが一家の主人へとなっていくんだなぁと、そう感じたんです。
だからこのうちだけ、一家というか、一族がその初めてのコンバイン刈を見に集まったんではないかと、そう感じたんですよ。
この田圃はひょっとして亀井玆矩が開墾したものではないかと思ったり。
すると数百年の長きにわたり先ほどの家族は代々田圃を作ってるわけで、今年は新主人の誕生を私たちは見たのかもしれない。
と、まぁ、勝手に考え過ぎた。
畔の曼殊沙華を手前に入れて、黄金色の田んぼに若主人の乗るコンバイン。さらにそのわきの道路には笑顔で一家の人たち。
シャッターを押せば写ルンです。
結果は通り過ぎただけですが。
その夜、句が、句が出来てきた。
また、迷句だ。
その言葉の作業をしながらさらに思った。
これは写真を撮るのと似とるぞ、と、感じたんですよ。
思えばあの写真家の浅井慎平さんも俳句を作ってた。
ネットで調べたが、慎平さんの句は、もう、ワシらの素人の頭では、ものすご難しい。
だが、負けずにここでワシのものを披露しておこう。
コンバイン息子初乗り曼殊沙華
なんですが、どうでしょう?
はは、まぁ、笑ってくれ。