ずっと司馬遼太郎さんの「この国のかたち」を、二度目を読んでいるんですが、そこにちょっと面白い話があります。
鎌倉時代末から室町時代、1390年前後ということになるのでしょう。
京の町では明との貿易が盛んだったようです。
行き先は寧波(ニンポー)だったそうな。
ここにはたくさんのお寺があったようです。
そのお寺に肥満漢の像があったそうですよ。
「布袋(ブーダイ)」と呼ばれてたそうで、招副の神だったそうです。
が!?この肥満漢を弥勒菩薩でもあると地元の人はいうそうで、こりゃぁ日本人は驚いた。
ほら、日本人にとっては弥勒菩薩といえばほっそりとした体で、笑うのか、笑わぬのか、アルカイックスマイルとかいう、痩せたモナリザみたいな菩薩ですよ。
全然似てない。
この布袋さんは寧波の岳林寺にいた唐時代(618~907)末の契比(カイシ)という奇僧だったそうです。
この契比さんが江戸時代になって七福神の一人になるんですよ。
で、あとの六人は神さんっだたりして、実在はしてないんですが、たったひとりの生身の人だったようです。
なお鳥取市河原町の布袋という地名がありますが、これは大国主の命がかたにかけた袋を置いたというところから、布袋の地名がついたとのこと。
古事記に書いてあるようで、とすると、712年か?
唐に布袋さんはまだ生まれていない。
どうなん?
関係あるんか?
弊店の初代はこの布袋さんをよしとしてホテイ堂と名をつけたわけです。
そして三代目も四代目も、その女将たちもそのことに引きずられて生きている。
是非とも福の神であってほしいと願うで。