8月も今日で20日です。
あいかわらず時の流れは休むことをせず、問答無用の流れ方です。
ところでそんな流れの、店は休みの、その間、以前のこのブログに記した題材の川柳が浮かんで来たんです。
まずは蜩(ひぐらし)。
蜩は 夏の標識 曲がり角
川柳に季語は関係ないけど、蜩ってのは秋の季語なんですよねぇ。でも実際はほかのセミと最初から鳴いているようです。
でもそのカナカナカナは日暮れ、夏が終わるぞ、なんてそんな風情があります。
蜩が 誰に聞かすか 狂い鳴く
山に行くとたくさんの、すべて蜩といった、蜩時雨といった模様で鳴いているんです。
小さな体で目いっぱい鳴いている。
命を懸けて鳴いているんです。
雌に聞かせるためでしょうね。
必死です。
それから迎え火を焚くのを忘れてた。
結果14日の早朝思い出して焚いたんです。
迎え火を 焚かず野宿の 仏たち
これは文字通りです。
仏たちが我が家がわからないので野宿せずにはすまなかったわけです。で、結果です。
誰一人 迎え火焚かぬ ばちあたり
と、なるわけです。
まぁ、12日にきちんと墓参りしてるんで、仏様もガタガタいうなと、そんなふうに思います。
さらに今月のG寺の掲示板です。
反射してて読みにくい。
父がいて 母がいて 私の番を 今生きる
と、ある。
そりゃぁ、そうだわなぁ。
儒教的でもあります。
そうなぁ、人は知らずしらずなにか大切なものを失いつつ生きているのかもしれません。
楽な道を選ぼうとするのも智慧というものかもしれません。
だが、いきいきと生きなくてはならない。
出来るだけ笑顔で暮らすことができるほうがいい。
私の番を生きるならね。
はは、かっこいいで。