司馬遼太郎さんの対談での事柄です。
昔、昔ですよ。日本史の教科書に仏像やら、仁王やらの写真があったのを覚えています。
平安時代のものは、たとえば阿弥陀仏とかはえらく現実離れしているような、ふくよかな有様でした。
ところが、鎌倉時代の、たとえば運慶、快慶が彫ったという仁王像なんかは、えらく筋肉があって、鍛えた本物のような生きてるようなものでした。
ただそれだけだったんですよ。当時思ったことは。
で、対談で読むんですが、武士というものの出現がこのリアルさと関係があるというのです。
教科書には地頭、つまり荘園の用心棒が武士となった、と、簡単に記してあったように記憶するんですが、どうなのか?
ところが、どうも違う。
司馬さんがいうのには、関東の開墾農場主だったそうな。
で、自分が開墾したものを京都の貴族の名前を借りて、とりあえず安堵してもらってたらしいんです。
だが、これではとても不安なわけです。
そういう農場主がたくさん増えて来たと思ってください。
そして西から貴族と親交がある頼朝が北条の家へ婿のように入ってくるんです。
これはなんにももたない、金も、土地ももたないわけで、ところが権威はあるんです。
結局頼朝を旗頭にして貴族をやっつけちゃうんですよ。
で、鎌倉に幕府を作っちゃうんで、これが今に至る日本の始まりだとありました。
この農場主たちにとって何が大事かというと、暮らしの基礎をつくるその農場、土地なわけです。
だからそこに命を懸けるわけで、「一所懸命」ですよ。
これが大きくなって力をもっていった農場主もあるわけです。
弱いものは家来になっていくわけですよ。
で、手柄をたてるとすぐに褒美、すなわち土地をもらえるんです。
この生な強さがないとダメなんで、皆が武器を持ち、田んぼを耕し、その集団を大きくしていくわけです。
観念的な頭だけでは生きていけないわけで、だから、平安時代とは違い鎌倉期の彫刻はなよなよしてないで、超リアルなんですよ。
さらに武士が身に着ける鎧が派手ですよ。
なんとかオドシとかいってねぇ。
一人一人が色が違うんです。
これは個人の意識が発達したもので、そう、アイデンティティーですよ。
「やぁやぁわれこそは〇〇の住人〇〇である。」と名のって刀を振り回す。
兜の前にもいろいろな飾りをつけるしねぇ。
実力の世界ですよ。リアルそのものですよ。
と、まぁ、そんなことが書いてあったと思う。
記憶が正しければですが。
そうだ、この時期に大乗仏教の主なものがはじまりますよ。
法然、親鸞、一遍、日蓮、道元とか、いろんな教祖が誕生するわけです。
貴族のものではない、位の低かった武士やら、庶民のものに仏教がなっていくんですよ。
リアルじゃないですか、ねぇ。