暑い、暑い、もう8月です。
もうすぐ盆。
少し忙しくなってまいりました。この旅も終わらせなければと思います。
車で関西から帰るときに名神から中国縦貫道に入った時、まぁ、車の数は減るんですが、周りはビルもなく、いかにもローカルな、落ち着く雰囲気があるもんですよ。
要は鳥取が近いというのでしょう、鳥取圏内にはいったといった落ち着きです。
京都駅のこの「スーパーはくと」の表示も少しその雰囲気があります。
京都も一年に一度は訪れたい町です。
だって、和菓子屋だもん。
現実には出来ないけどねぇ。
若い時は来るべきです。
さてここで待てば自由席の乗り場だと聞いた場所へ着きました。
座って鳥取へ帰れそうです。
だから大阪や、姫路の乗り換えを避けたんです。
ほら来ましたねぇ。
朝の散歩の時に、千代鉄橋を渡るこの列車を飽きるほど見ています。
鉄橋でみる列車は、これも流線型というのか?しかし、なにかもうひとつあか抜けないスタイルです。
だが、この京都駅ではそれが、なんでか、安心するんです。
鳥取へ運んでくれるからかな?
鳥取圏内へ乗れるからかな?
山陰縦貫道と同じかな。
一番前の席に二人座りました。
架線はたくさん見えるものの、当列車はディーゼルカーです。
16:56京都発、鳥取へ19:59着です。
午後8時までに鳥取へ帰れるわけです。
以前午後9時半ごろのこの列車で帰ったことがあります。
朝早く鳥取を出て昼過ぎ東京着。中央線に乗ってお得先へ行き、仕事をすませ、そのまま、とんぼ返りでした。
たしか帰っても晩飯がなかった、その時は。
これ大阪駅ですよねぇ。
昔大阪で暮らしていたから新しい駅を見てみたいです、きちんと。
そして、これは淀川の鉄橋かな。
そんな都会をディーゼル車はしっかりと、安全確かめながら、電車に負けずスピード出して走ります。
これどこの駅だったか?上郡かな?
どこでも女性の職員が増えています。
柔らかいですねぇ。
この新幹線が描かれたボールペン、アンケート書いたらもらっちゃったんです。
これは先月鳥取へ来てた孫二人にプレゼントしました。
ほらほら、智頭急行線ですよ。
もう、鳥取近しです。
ところで、今日のブログを書くのに、最初からずっと頭にあるのが、鳥取へ帰ってからのことです。
午後8時前に鳥取駅へ着いたんですが、そして、ご飯食べたいんですが、店がない。ないんですよ。
この辺りでは中心の町のはずが、午後8時では店が、もうない。
日曜日だったからかもしれない。
弥生町にも行ってみたが、ない。
酒を飲む居酒屋はありましたよ。
だが、レストランとか飯屋とか、ありません。
これにはがっかりです。郊外にはたくさんあるのに。
特急列車で着いてめしを食べるところがないというのは、観光で売ろうとしてる我が町にしては、お粗末です。
バードハットみたいな、あほなもん作るより、こんなところが大事だと思ったんです。
飲食業組合はこんなとこなんとかせんといけんと思うんです。
結果我々夫婦は我が町でも食事を求めて、また歩かされました。
ま、これは後の話です。
着きましたよ。
鳥取ですよ。
今回の5,000キロ近い旅の終点です。
よくぞ無事に帰ってまいりました。
最初切符が8ミリくらいの厚さだったのが、どんどんうすくなり、ここで、最後のものになりました。
改札で「持って帰りたいですけど。」と、お願いすると、「はい、いいですよ。あ、でも、その処置をしますから。」との女性職員の、すぐの言葉でした。
「行ってよかった。」
この旅の私たち夫婦の言葉です。
41年ぶり、49年ぶりの確かめの旅でした。
どこも記憶とは全く違ってました。
まぁどこも変わっているだろうなぁ、と、行く前には思ってました。
でも思った以上に変わってた。
はは、かっこよくいうと、日本的な無常ですよ。
「祇園精舎の鐘の声」を聴きに行ったんですが、我々も、どうも「祇園精舎の鐘」を衝きながら40年以上暮らし続けていたわけです。
変わらぬものはないわけで、我々も歳とって変わってた。
実際、今、歩きすぎて背中が痛い。
昔はそんなことはなかった。
でも、そうなぁ、今回の行ったところは、ずっと大切な場所であって、なんというか、胸のなかでは、ずっと結び目のように固く大切にしていたものです。
それが、結び目がさらりと解けたような、重さが、固さがなくなりました。
今でも大切、いや、新しくまた大切なものになったんですよ。
「行ってよかった。」
そう思います。
終わります。