7日の朝は曇ってた。これでもかというくらい空一面を雲が覆っていたんです。
いつものとおり千代鉄橋を目指して歩いていました。
途中とても小さな雨が顔にあたったような。
鼻歌まじりに歩ってたんです。
土手から河川敷に降りて、自転車通りを川上へ歩いて行くと、「スーパーまつかぜ」が鳥取駅へ鉄橋を渡っていきました。
その道路際、川側のセメントの上へ、
「あれ?猫だで。」
最初に認めたのは女将でした。
硬いセメントの上に川のほうを向いて黒っぽいとても小さな猫がうずくまっていました。
我々がそばによっても、逃げようともしない。さらに鳴こうともしない。
さらに近づいても微動だにしない。
「生きとるだか?」
斜め前から見ると、目をつむったまま、うずくまりながらも頭も普通の位置で鼻は地面にはつけていませんでした。
生きてるな、とは思ったんです。
さらにじっと見ていると、かすかに呼吸をしている様子。再度見つめると、体の側面がきそくただしくわずかに動いているんです。
「生きとるで!」
これは早く家に連れて帰って餌を食べさせなくてはと思いました。
かなり衰弱をしている様子です。
すぐに長袖のシャツをそこに広げて、この子猫をそれに包んでやりました。
これを抱いてやるのは女将です。
きっとこの子猫にとって久しぶりの暖かさだったに違いない。
よくぞトンビやカラスにつつかれずにいたものです。
この日の散歩はここで終わりました。
「どうするだぁ?うちげはお母さん嫌いんさるで。」
「ええだがなぁ、4代目の家へつれていってやれば。」
もともと4代目もメイさんという大きなオス猫を飼っているので、トイレの砂も餌も、すべてあるんです。
「牛乳は持って行ったるけぇ。」
女将は直行で4代目の家へ抱いていきました。
私はその後工場で仕事です。
よほど腹が減っていたんでしょう。前足も餌へ突っ込んでむさぼるように食べてたそうです。
食べれば元気になるもんですよ。
ところが4代目が気が付くんですが、顔半分が腫れてる。
あ、その前に眉間あたりに穴が開いてると女将が言ってたんです。
それで4代目が医者へ連れていきました。
結局なにかにかまれていたようで、耳の後ろからとか、そう、頭の上のほうからかまれたようなんです。
そのため膿がかなり広い範囲にたまってるとのこと。体力が心配ながら切開をしました。
ずっとあずけていた医者から連れて帰ったのが夕方でした。
治療費2万円です。
一夜明けて、まぁ、餌も食べたし、大丈夫だろうと思ってたんです。
女将は昼に、夜に見にいきました。
薬をスポイトで飲ませる様子や、さらに小便を巣箱から出て部屋の床の上にしたこと、4代目からはベッドの横にカサカサのウンチをしたこととか聞いてたんです。
ただこの2日目には水もなまないしも餌を食べないとのことでした。千代川のときのようにうずくまっていたそうです。
今日の朝8時10分ごろ4代目から電話がかかってきたんです。
女将が受話器を取って話す様子が、沈んだ口調なんです。
すぐに4代目の家へ行ってみました。
小さな段ボールが三つならび、両橋の段ボールには水、エサ、そしてトイレがしてあるんですが、その中央の箱でした。
小さな段ボールの箱へ寝かされていました。タオルを敷いて、上にも1枚タオルをかけてありました。
そのタオルをめくると横向きになって、さわれば、もう硬くなっていました。
「庭に埋めてやれいな。小さな穴でええだけな。」
「うん。」と4代目。
昨日4代目が夜11時半ごろ帰ると、箱の中で横向きになって、息が浅くなっていたとのことでした。
おそらく亡くなったのは深夜でしょう。4代目はたぶん寝てないと思う。
もっと、一日でも早く拾ってやれることが出来てたら、きっと助かっていたに違いないとおもうんです。
名前もつけられずなくなってしまいました。