G寺の掲示板がきっかけです。
「うらを見せ おもてを見せてちるもみぢ」
これは先月の掲示板に住職が書いてたものです。
これが良寛さんの辞世の句とは知らなかったんです。
で知ったあとで、ウイキペディアを見たんです。
そうすると、なぜか良寛さんは寺をもたなかったようです。
調べたのはだいぶ前だが、そう、曹洞宗の僧だったと思う。G寺は日蓮宗だったと思うのだが。
この良寛さんは、子供と毬をついている印象が強いんです。なのに名を残しているんで、なんでかなと思うんですが、今もわからない。
辞世の句を詠む前に別な句を詠んでた。
それは思いを寄せる貞心尼が駆けつけてきたときらしい。
「いついつと待ちにし人はきたりけり いまはあひ見てなにかおもはむ」
なんだそうです。
このとき良寛さんは74歳。貞心尼は34歳だと。
これっていいよなぁ。
これにこのたぶん奇麗な貞心尼はやはり句で答えてる。
今のメールですます味のない現代とはまるで違うわけです。
「生き死にのさかひはなれてすむ身にも さらぬわかれのあるぞかなしき」
これなんです。
で、辞世の句となるわけです。
江戸時代の後期の時期です。
昭和、平成になっても人の思いは変わらない。
だが、その味わいは少なくなったかなとは思う。
だって、すべてスマホですます現代です。
想いを伝えようと思えば、けっこう苦労するはずですよ。簡単じゃないはず。
私まだ74歳にもなってない。さらにはスマホももってない。あ、だめだゎ。歌を作る能力がないゎ。
やっぱり良寛さんにはなれない。
たぶん良寛さんは言っている。
「あのなぁ、お気の毒だけど、執着心をはなれなさいって!」