5月27日(月)の会津です。
この日その朝日は暑くなりそうな色合いです。実際35,6度と云ってた。何のために仕事が暇な7月をさけてこの時期を選んだのか。だが、この時期に季節外れの「夏」はやって来た。
ホテルの朝食は利用した人であれば普通のバイキング。逆に言えば安心も出来ます。あたたかなご飯と味噌汁。これありがたいですよ。
今日一日は会津の空気を吸います。どんな会津があるのか?会津藩の子孫たちに昔の生真面目さとかはあるのか?
会津若松駅前から循環バスの「ハイカラさん」と「あかべぇ」が出ている。1日フリーで一人600円です。
まず荷物をコインロッカーへ入れないといけない。これが今やコンピューター仕様で、ボタンをいくつか押すんですが、うまくいかない。なんどか試すもだめでした。
我々の後ろから「どうされました?」との声。
ちょうどそこがタクシーの乗車場所になっていて、女性運転手が親切にも車から降りて声をかけてくれたんです。
で、うまくいかないと告げると、じゃぁというんで代わりにやってくれたら、なんと簡単にうまく云った。ボタンの少し右を押さえればうまくいきますよ。だって。ワシ左利きだから左ぎみのところを押さえていたのかもしれない。でもなぁ。
「あいづっこ宣言」です。テレビでみたことがある。こんなのもまさしく会津かもしれない。
バスはいわゆる普通のバスでした。路線バスにつかうやつですよ。あれ、かっこいい「ハイカラさん」は?「あかべけ」は?と疑問。
どうも一台づつしかないのではないだろうか。「あかべぇ」に一度乗ったが、あとは「路線バス」であった。鳥取市の「麒麟獅子バス」は何台あるのか。
とにかくまずは鶴ヶ城だと、そこへ行くことにした。
こういうバスはありがたい。廉価で走ってくれて、主なところが見学できる。街角を見るだけでも鳥取ではない何かを感じるんです。
立派な構えの和風の造りはたいてい造り酒屋さんです。人口12万人で、造り酒屋が十数軒あるそうな。鳥取市はどうかな?合併後新鳥取の人口20万人、でも2軒ではないかな。会津もしかし昔はもっとあったそうな。
会津はよく飲むらしい。
江戸の初めごろには兵庫の灘から酒を船で運んでいたらしい。これが「くだりもん」で、良い酒と云われていたが、いつの頃か、時代小説でも会津の酒が紙面に出て来るようになったんです。いまや酒どころです。この日最後に買いました。6種類。いま冷蔵庫へ入ってる。長男一家が7月に来るのでその時に飲もうかと言っているが、もつかな?
停留所で降りてお城へ向かうとすぐに和菓子屋さんがあった。蔵を改造したのかと思う。昔風でこれも会津か?と思わせる。屋根が浮いている。ほかにも一軒同様な建物があったが、どういうものかいまだに分からない。和菓子にしても暑くって、気持ちが動かなかった。涼しい時にもう一度行くかな。はは。
とぼとぼと歩いて行くと、お堀にかかるころに、えらい派手な建物。「なんだぁ、これは?」「この感じはアレだろうで。」「なんでこんなところにあるだ?」との二人の言葉。昔の会津藩ならばこんなこともあるまいに。
あとで行った「七日町どおり」には古い建物が結構あった。こんなのも会津かな。
この鶴ヶ城跡はいい!です。お堀がしっかりと残り、石垣も立派です。第一天守閣がある。もっともこれは鉄筋コンクリートですが。おそらく幕末、明治の時代に味わった明治政府なんかに対する、「くそ!」といった気持ちがこの城を造ったんではないかと、そう思われます。たった12万の人口では、そうそう出来ない。
映画なんかで何度も見た会津の印「會」です。京都の治安を乱す輩を捉えるためにこの「會」の提灯が揺れるのを何度か見ました。松平容保はそんな役を引き受けちゃったんですねぇ。京都に三千人ほどでしたか兵を駐屯させたはずです。弟の桑名藩主も所司代としてこれを手伝った。
23万石だったと思うけど、しっかりと石垣なんかも残っていて、いい雰囲気ですよ。
鳥取の石垣とは積み方が違うような気がする。
この立派なお城。元のお城もそうだが、昭和の人もよくぞ建てたもんです。
まぁ、姫路城とか、彦根城とかに比べればそりゃぁ、ちょっと、いや、少々、物足りんかな。大阪城と同じく鉄筋コンクリートだ。
だが、この城郭があるとないでは大違いです。会津の住人はよくやったと思います。
一人510円。
この様々な入場料が重なると大きな金額になるんですよ。
江戸時代の男性標準身長だったかな。小っさいで。
今回の旅で千枚以上の写真を撮っているが、その中で二枚くらいあるワシが映っている写真だで。
土産物を販売してるところもありました。値段の割にとてもいい塗り物なんかがあって、買っちゃいました。会津で作っているのだろうか?しゃんとしたデザインなんだが、価格が安いんです。
城を見終わって、お堀に面した石垣に上ってみた。そこでなぜかカバンに入っていたビールも飲んでみた。だが、やっぱりビールは冷たいのが一番です。
こう、時間とか、歴史とか、そんなものを感じさせてくれる場所です。
鳥取城址もそうですよねぇ。
茶室も見てきた。これは松江を思い出させるそれでした。
さて、これで鶴ヶ城は終わりです。
循環バスのコースに「武家屋敷」てのもあったけど昔のものではないし、入場料も高かったので、これは見るのをやめました。
この街はこういった工芸品が盛んです。
右上の赤い牛(?)が「あかべぇ」だと思う。
これが「七日町駅」これ、なぬかまち、って読むそうな。ここは無人駅。だが、カフェがあります。土産も売ってる。
只見線の駅です。
この次の日にはここから日光を目指すんです。
単線です。コインロッカーもない。でも雰囲気はあります。ここで塩羊羹を買いました。「山塩」というもの。たぶん会津の山で岩塩が取れるんじゃないかと思うんですが、どうなのか。
さらにはツバメの巣もあります。会津のやさしさでしょう。
で、昼近くになりましたので、またバスで、会津若松へ行ったんです。昼食と、土産物ももっと見てみたいし、荷物をこの日泊る宿へもって行っときたいし。その宿は七日町駅から近くて、七日町通りを通るんで、荷物をださにゃと思ったんです。さらにその前に昼食です。
そばを食べました。バスに乗っているとそばやさんがけっこう目立つんです。どうも会津はそばの産地らしいんです。で、会津そばです。天ぷらは二人して食べましたよ。うん。
この後また巡回バスです。コンクリートの照り返しはこの日、暑いですぞ。
これに乗って荷物を持って、また七日町駅へ行き、そのスーツケースを引きずりながら七日町商店街をブラブラ通って、宿を探そうかとのことなんです。この商店街は古い建物が残っているらしいんです。これも当初からの見たいものでした。
そう、数でいったら埼玉の川越の方が上だと思う。もちろんそこはそこ、ここはここ。ですが。
そういえば忘れてた。
昼に会津そばを食べた時、その場に我々よりも十歳くらい若い夫婦と、また五歳くらい上の夫婦がやはりそばを食べてたんです。
若い夫婦はビール飲みながら、奥さんに対し、よく喋ってた。歳が上の夫婦は先にそばを食べてたが、一切夫婦とも一言も喋らない。で、食事が終わったら、ご主人が勘定を払いに行ったようだ。すべて無言であった。
で、この歳が上の夫婦が無言でそばを食べている時にちらりとその様子を見ると、奥さんはというよりおばあさんはウオーキングシューズ、そしてご主人たるおじいさんは「N」の文字がはっきりと見えるシューズを履いてる。
ちょっとまてよ、これってワシらじゃない?
ワシもこの旅行に「N」印のシューズをそろえたんですよ。だからおんなじだ。いや、向うは、ほら、釣りをするときのような、ポケットのたくさんあるチョッキもつけていた。現代の旅姿ですよ。
なんとも、です。
で、バスを降りて、七日町通をスーツケースをゴロゴロと引きずりながら、グーグルマップで調べた宿を探しました。
スマホなんか持ってないのに、けっこうすぐにわかりました。大きな看板もでてたしねぇ。
木造の建物で、駐車場がごっつい広かった。四十台は入る。そこには一台一台の白い線は引いてなかったんです。
玄関をはいって声をかけたんです。と、気さくに粋な女の人が対応してくれたんです。荷物をあづかってくれました。ましてや、まだチェックインの時間ではないが、「先ほどエアコンをかけましたから、部屋でお休みになっては?」との言葉でした。
「いや、七日町通りを見てみたいんで、もう一度出かけます。」とまた外に出たんです。
つづく。