これを書いてる今日は6月22日(土)です。
え?仙台へ向かったのが5月24日(金)だったから、もうじき1か月がたとうとしている。一昨日横浜に住むOB会メンバーのKさんから横浜の写真をDVDにして送って来たんです。
昨日はやはりOB会の鳥取在住のHさんが来店。「Kから写真が来たけぇ、なんか送ろうと思ってなぁ。菓子送ろうと思って来ただが。」と来店。
さらには会津で買った6本の地酒のうち、1本半を飲んでしまった。300mlのものですが、純米吟醸のもので、これはうまい。長男が来たら飲ましてやろうと思ってはいるが、なくならないようにしなくては。
さて、ブログは5月28日(火)「陽明門」です。
鳥居をくぐり、そこにあったのが、これが、また、えらく美々しい、手や口を清める、御手洗というのか、因幡東照宮とは全然大きさも凝りようも雲泥の差ですよ。いや、鳥取のはひなびた雰囲気がそれはそれでいいものですよ。
まず仰ぎ見た。
門へ上がる前に、これはなんの建物だったか?彫刻が目を引いた。象だで。たぶん作者は本物の象は見ていないのではないかと思うのだが、力作ですよ。
さらに因幡の美人女将を配してまた陽明門です。
細部は色々なもので紹介されているだろうけど、やはりこのブログにも載せてし
まう。
裏側です。門にこれだけ凝るかなぁと。思う。家光が徳川の威光を示したのであろう。
で、門からはなれて、これはなんだったか?
眠り猫がこちらへいるとのことだったと思うが、どこもかしこも凝っている。
凝っている。
この外国人さんは我々の前をずっと歩いてた。神橋あたりからだったか、この先にも歩いてた。
猫は近い。
近いがいない。
狛犬だ。
足が太い狛犬だ。
まぁ、結論を先にいうと、奥の院の家康さんの墓所まで行きました。猫を探して行ったんです。だが、眠り猫はこの階段の下。今いるすぐ近くにいたのです。
すごい石段ですよ。こう、石段の足を乗せるところの人二人が通れるくらいの幅、これがずっと上までのステップが1枚づつの大石で出来ているんです。
そりゃぁ、これが小さな二枚で出来ていようが、大きな1枚でできていようが、登るしんどさには関係ないが、その凝りように、感心しながら一段づつ上がったんです。若い外国人に追い越されながら。白人の外国人にはショートパンツで、けっこう入れ墨をした人が目立ちました。
たしかにここは雰囲気がありますよ。東昭大権現、徳川家康の墓所です。派手さはなくいい感じです。これだとおおち谿神社、いまは因幡東照宮といいますが、そんなに見劣りはしない。家康さんはもともと質素な人でした。冬でも足袋をはいてなかったりしたはず。食事は一汁三采といった将軍としては質素なものでした。だから長生きしたんでしょうかねぇ。薬も自分で作っていたし。
これは狛犬というような言い方ではおさまらない。霊獣ですよ。たくましく、いさましく、実に躍動的でかっこいいですよ。
鶴亀もいた。
これはアメリカ人だろうか?若くしてこんなところまで来ている。日本の若者はどうなのか?日本では言葉も伝わらないのにたいしたものですよ。
これは獏。これもホントの獏とは似てないが、よくできている。
さらに社。地味です。
葵の紋です。なんか色を落とした在り様もいいものです。
で、この墓所に仮の建物のようなところに巫女さんがいたので、「眠り猫は?」と聞くと、「下です。」と答えた。
なんのことはない、上がるときにくぐった門に、いや、建物の一部であったか、とにかく、くぐったすぐ上で我々を見ていた。
いや眠り猫だから我々の足音を聞いていた。
これで東照宮の「陽明門」は終わりです。
帰りはバス停があり、そこから駅まで乗りました。
楽でした。
で、駅といっても、この日光には二つの駅があるんです。「東部日光」とJRの「日光駅」です。
電車からこの「日光駅」の二階部分が見えたんですが、これがとてもレトロな雰囲気で見に行きました。
つづく。