寿町の同じ班、一人暮らしの佐藤さんです。
この息子さんは私の先輩。
高校のボート部の一年先輩です。
縁とは予想できないもので、最近はN茶屋の営業マンで弊店に配達が時々。
それどころか、佐藤さんのおかあさんはしょっちゅう弊店に来て、大女将とよもやま話をしていました。
一昨日、朝は息子さんの先輩、午後だったかな、お母さんが来店。いつもと同じようによもやま話でした。
今日救急車の音。
毎朝先輩がこの佐藤さんへ弁当をもってきていたんです。
ところが、たおれたお母さんをみたのです。
先ほど亡くなったと聞きました。
今年は多いです。この町内で九人目です。
かってないこと。
大女将はそれなりにショックの様子です。
1945年に敗戦。
生き残った男も女も、つぶれた日本で一緒になって、なんにもない日本で一生懸命生きて来た。
できた子供たちには幸せをと願い頑張った。
そのこどもたちが我々団塊の世代です。
どうも、この世代も競争の世代で、そうよ、頑張った。いいか、わるいか知らんけどな。
アメリカにあこがれ物を求めた‥‥かな。
母親の世代の一人暮らしの佐藤さんが亡くなったんです。
幸せな死にかたかな。
他人に迷惑掛けず、本人も一生懸命生きて、人格も失わず、たおれた姿を息子さんに発見されて亡くくなりました。
いいじゃないですか。