暑いです。温暖化じゃなくこれは熱帯化と改めた方がいい。
ほんと。
昨日夜、組合の大山(だいせん)バスツアーの準備でビール、またそのつまみを湯所町のSマートで買って、その帰り。
薄暗いなかの出会い橋に葬儀社の案内板が立っていて、見れば、どうも、昔同じクラブのH家らしい。
で、電話するとまさしくそうでありました。
父親が亡くなったとのこと。
明日が告別式。
今年身近に亡くなった人は異常に多い。
明日は注文をこなし、バスツアーの準備もし、明後日は朝早く出かけなならん。
いろいろと面倒なこっちゃ。
話は変わる。
先日「真田太平記」を読み終えました。
こんな長編を読み終えたのは、そう、40年ぶりくらいかな。
戦国時代末期の真田家を中心にした物語です。
もちろんこの時代を題材に文章をものにしてる作家は何人かいますが、作家が変われば目のつけどころもちがい、面白かったです。
池波正太郎さんが描く真田昌幸、信之、信繁(幸村)の物語、そこに草の者。そう忍者がからみます。
基本的には山の中の物語。
長野県、群馬県の小さな武将です。
面白いのは、ここに登場する人物。
滝川三九郎という人がいます。
これは織田信長の下の武将滝川一益の孫です。
昌幸の娘とひょんなことから一緒になり、幸村の娘二人を養女としてきちんと嫁に行かせています。
いっとき、鳥取県の米子、当時豊臣恩顧の中村氏18万石へ、そう、サラリーマンとして勤めてたこともあります。
さらに徳川の旗本千七百五十石にもなり、大阪の陣では家康の使い番として大御所の側近にいたりしました。これは秘書かな?
二代将軍秀忠のとき、
その旗本もとりあげられて京都へ行くのですが。その暮らしの世話をしたのが真田信之です。
読んで見てください。
つるつると読んでしまいます。
三九郎の話は、短編でも書いてあります。
長生きしました。夫婦とも。
たしか、京都でなくなるんですよ。
八十幾つだったか?
ひょうひょうと生き、でも柳生石舟斎の五男でしたか、この人に武道を習うんですが、この影響か一生を束の間と言い切ります。
逆らわず、流されず、なかなかに面白い人です。
脳細胞の連想で話は変わります。
如水という人がいます。
水の如し。
黒田如水。
黒田官兵衛孝高です。
この如水ての、いいと思いませんか?
この人は、とんでもなく能力のあった人です。
その人が如水というからには我々が言う水のようなもの、とは結構違うかもしれない。
ところで、散歩の道筋に景福寺があるんですが、大きな古い墓がドドドントまとめられています。
あまりにもりっぱな大きさなので近くへいって見てみた。
と、如水と刻んだ墓がある。
他の文字は読むこと不能。
まあ、黒田如水とは思いませんが、なんか面白い。
この如水がかわいがった後藤又兵衛の墓はこの曹洞宗景福寺にあるんですよ。
如水の息子の長政はこのブログを見たら、それはなぁ‥‥となんか言うかもしれません。
だって、如水は長政よりも又兵衛の方を認めていたとのことです。
また酔ったかな?