年末か?正月か?
BSのNHKでやってました。
見たんです。
見たのをきっかけに本を買おうと思いBOOK OFFに行くものの、テレビで放映されれば買う人多く一冊も棚にありません。
以前はあったんですがね。
原作は司馬遼太郎さんです。
本名福田定一さんです。
なんか、ペンネームとのイメージが違う。
さて、「坂の上の雲」の最初のナレーションがとても魅力がありました。
これを記します。
BGMがないのが残念です。
まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」 というものをもった。
だれもが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは日本史上の最初の経験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分らなければこの段階の歴史は分らない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格をとるために、必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば実にこっけいなことに、米と絹のほかに主要産業のないこの国家の連中が、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。
陸軍も同じである。
財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも、近代国家を作り上げようというのは、もともと、維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国のひとつ、ロシアと対決しどのように振舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本人ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は三人の人物の後を追わねばならない。
四国は伊予松山に三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起きるにあたって、勝利は不可能といわれたバルチック艦隊を滅ぼすにいたる作戦をたて、それを施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句、短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れてその中興の祖たなった、俳人正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一条の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登っていくであろう。
なんかいいと思いません?
この後に日本人は傲慢になっていくのですが、まだ素朴な時代です。
いつごろだったか、かなり昔に、年末か正月にNHKテレビで、司馬さんが真っ白な髪をして、ロイド眼鏡で様々な日本のことを評するのを見るのが楽しみだったことを思い出します。
もっと我々に残しておいてほしかった。
ずっと、そんな気持でいます。