毎日がこうも暑くては、早く風呂にはいってさっぱりとしたいものです。
いつも耐水のラジオのスイッチを入れます。
先日のそのとき
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。‥‥」
と流れてきました。なぜかこの文章、ここまでは結構覚えていたのです。そしてその朗読を聴いていると、これがなかなかいいのです。
いや、高校の頃古文なんて、てんで駄目で、授業なんかぜんぜん面白くない。もちろん試験なんていいはずなし。
ところが、覚えがあるのです。
で、なんだったか?従然草 ? あれは つれずれなるまま だぞ。 調べると 「方丈記」。
おお、そうだった。鴨長明さんだった。
下鴨神社の神主さんの家系だったのでは(?)、そうだとすると「みたらし団子」にも関係するぞ!と思いもよらぬことがらも‥‥。
覚えてない次からの方丈記を、ながくは高校時代の古文の授業になりますので、少しだけ。
「世の中にある人とすみかと、またかくの如し。たましきの都の中に棟をならべいらかをあらそえる、たかきいやしき人のすまいは、代々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかとたずぬれば、昔ありし家はまれなり。或いは去年焼けて今年作れリ、あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所もかわらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆうべに生まるるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。‥‥‥」です。
日本人の無常観です。しらず、歳とるたびに身についたものでしょう。