先日の我が家の法事のときの話ですが、この法事は弊店の初代と、二代目のもので、33回忌と15回忌だったと思うのですが、
四代目はこの回忌にあわせて馬券を買ってたそうです。
単勝3枚。
300円。
で、法事は夕方だから、もう結果は出てるわけで。
塔婆に書いてある33回忌、15回忌がやたら目に付き、笑いがこみ上げてきたそうで、そのあともよう飲んでたわ。
四代目はなんと、万馬券を手に入れたそうなんです。
いや、これも仏様のおかげ。
ナマンダブ、ナマンダブ。
と、上記のことを書こうと思ってたわけじゃなく、この前読んでた中村彰彦さんの「関が原合戦 秘められた真相」に載ってたことなんです。
豊臣秀頼のことです。
簡単に書こう、ながくなるから。
幕末、鳥羽伏見の戦いに最後の徳川将軍の慶喜さんは会津藩、桑名藩そのほかの幕府方が1万数千人集まっているのに、なんと、戦場にはまったく出ずに江戸へ逃げちゃった。それも容保、定敬(さだあき)の会津、桑名の殿さんを連れてですよ。こりゃあ、けしからん。
と、いうのは有名な話。
もっと古い話ですが、それでも同じ江戸時代です。
1614年から1615年の大阪の陣の話。
真田幸村、後藤又兵衛他の武将が戦っているのに大阪方の大将たる秀頼が全然戦場に出てこない。
なんでか?
と、これが今日の話題なんです。
これがですねぇ、秀頼はごっつい大きいんですよ。
身長が1m97cmだそうですよ。大っきいで、こりゃぁ。
さらにこの戦争が始まる数年まえに家康と会っているんですが、家康は秀頼を、「これは人の上に立つ人間だ。これをこのままにしておいては徳川の天下の障りになる。」と参謀長の本多正信に話すと、正信は策を授けたそうな。
これが、酒色におぼれさす作戦とのことで、またこれが、若いからすぐにはまるわけです。
その結果若いのにブクブク太ってしまうわけで、それだけじゃなく、酒色にひたるわけですから、、こりゃぁいけんでといった顔つきにもなるわけで、なんとも、馬にも乗れない。
あ、これは、当時の日本の馬はテレビで見る競走馬のサラブレッドとか、アラビヤ馬とかいった600キロとか体重のある大きな体格ではない、小さな馬なんです。
テレビドラマとか映画では日本馬がそろわないからサラブレッドなんかが登場するけど本来は小さな馬なんですよ。
で、これに1m97cmのブクブク太った秀頼が鎧をつけると200キログラムほどになるのではと思われ、これは、もう、戦場に凛々しく馬に乗って出て行くのは無理というものです。
なんか、馬鹿な話ですよ。ほんとなら。
でもそんなもんかもしれません。
決してドラマチックに歴史が変わっていうわけじゃないもんなぁ。
現代だって、政治家に投票するのに「かっこいいもん?」だけで一票入れる人多いんじゃないかな。