» 鳥取のことのブログ記事

九日の深夜ですよ。私の携帯、ガラケイが手の届かぬ机の上でボーッ、ボーッ。と震えて鳴り出した。真っ暗な中ですよ。「誰だいや?こんな夜中に?ほんにええ加減にせいよ。あ、それとも身内になんかあったのか?」急ぐも真っ暗。スタンド点けて、ベッドから体を起こし、携帯探し、手に取って、開こうとすると、、、、「ボーッ」、が鳴り終わった。「なんだよ、もっと電話し続けんかい!」と開いた携帯を閉じたら、すぐにガタガタと揺れだした。

 

「オゥ!地震だがないや。え?揺れとるがな?まさかこれ以上の揺れはないだろうなぁ。」などと思っていると、とりあえず揺れは止まった。

見れば椅子の上に寝ていた飼い猫「もなか」も掛けていたジャージを顔を見えるだけはねのけて、こちらを見ている。

すぐに手元にあるテレビのスイッチを手に取って、テレビ点けたんです。なんか番組をやってたが、地震の事はまだやってない。文字で地震があったと出てきた。

それによると01;32頃地震があったとのこと。後震源地は島根県大田市とのことでした。一度ここの大森町を歩いたことがあるんです。江戸時代の建物も残ってた。

まぁ、鳥取は大丈夫だろうと、寝かけた。そしたらまた揺れた。揺れ戻しかと思ったが、ま、大丈夫だろうと、隣の部屋に寝ている女将のところへはいかなかった。

この前日は日曜日で、しっかり昼寝もし、賀露海岸にも行き、午後7時前には風呂も沸かし、さらには風呂からあがると晩酌もし、夜のディナー(?)も食べて、日曜日の小さな幸せを味わってたんですよ。

ただし、「好事魔多し」というのか、頭の隅になんかなぁ?不安?ええことばかりは続かんぞ、と、そんな言葉というのか、もやもやとあったんです。

具体的なのは、地震とかでそのユッタリジカンが打ち砕かれるようなそんな想像映像です。

地震ほど我々にとってどうしようもない自然現象はないもんですよ。

ま、でも、鳥取は震度3でした。

大田市は震度5強だとのこと。被害も出てる。でもボランティアの受け入れの準備もしてるとのこと。日本にはいい人がたくさんいるのだ。

(画像少し白黒にしました。どうでしょう?)

 

当たり前で鳥取にも桜が咲きます。

今、満開になろうとしてます。

先日鳥取市の桜標準木で桜の開花だと、新聞に載ってました。さらに今日は暖か。遠く袋川の土手を見れば、あら、ピンク色が垣間見える。

そんななか今日は月に一度の診察日。いつもと同じくやはり自転車で出かけました。でも、帰りには袋川の桜土手を通ってみるかと、そんな気持ちで出かけたんです。

ほら、ほらね。桜だゎ。

袋川の右岸に何本だか忘れたけども、たくさんのソメイヨシノです。

これが桜土手。

そうそう、弊店に「桜土手どら」というどら焼きがあります。この時期よく売れる。

弊店のすぐ近くにある鋳物師橋のところはこれ!

これも鋳物師橋だ。ダブったで。どうもウイスキー飲みながらなので、少々認知症かな。

あ、これはわざわざ鋳物師橋のたもとに自転車を停めて、橋たもとの桜を入れて撮った一枚。あまりたいした画像にはなってないなぁ。

これは久松山と袋川と桜土手だで。川にも桜が映ってる。

さらに有門橋だで。

さらには有門橋手前の一本桜も載せておきましょう。かな。

鳥取出身の人にはとても懐かしく思う人もいるに違いない。

 

今日の朝普段より早く目をさまし起きかけると、「むっ、背中が痛い。」、「え?大丈夫かな?」とまず不安。

で、女将に医者からもらった湿布薬を貼ってもらった。さらにその部位近くにホッカイロを服の上から貼った。何とかならなけりゃその時よ!とばかりに工場へ出た。

そう、今日は彼岸の中日なんです。まぁ、一般人は休日だろうけどねぇ。

話は変わる。

1ッカ月以上前に依頼があった。

鳥取砂丘こどもの国で和菓子教室をとのこと。数日たって3月21日は彼岸の中日だと気がついた。おはぎの日だで。さらには毎年忙しい日じゃないか?

だが、受けたもんは受けたもんだ、とばかりに、おはぎは朝早くすればいいじゃん。

と決めた。

たおちゃんに後をまかせばいいだろいし、と。

で、おはぎを、とりあえず一人で作ったんです。できない分はたおちゃんへ申し送りました。

で、4代目の運転する車で諸道具と材料を積んで、予定より遅く出発でした。

小雨の中現場へ着くと、あらら、もうたくさんの人が並んでる。

急ぎましたねぇ。

午前中二時間と、午後二時間。

よかった。背中は無事でした。腰はだるかったけど。

その和菓子が出来上がったときの嘘のないこどもの表情には、そうなぁ、感謝します。ほんとに驚きと喜びの表情をするんです。「おぅ、こんなに喜んでくれるんか?」とね。

隣から4代目のノリのいい声も聞こえてきます。

シャッターチャンスはたくさんあったのに、今日は和菓子職人をきっぱりと演じていました。それも立派な職人です。

そうですねぇ、彼岸の中日ですし、ここでもおはぎを作れるようにと準備していったものが、なんと、希望する子供は極めて少ない。

子どもに彼岸は関係ないわなぁ。

で、終わって帰ってきたが、なんと、店でもおはぎが残ってる。どうも今までとは違った何かが動いてる。なんなんだろうか。

弊店四代にわたって通った醇風小学校に鳩っ子学級があります。学童保育の場所です。学校の敷地内の端っこに小さな建物があるんです。

さて、店舗補佐たおちゃんの長女はそこのお世話になっていて、さらに、次女もお世話になろうとしたところ、ちょっとまて!といった干渉があったんです。

ま、結果は娘二人ともここのお世話になることができるようになりました。

でもなぁ。そうでなかったら、たおちゃんはえらい困るわけです。学校が終わってから娘をどこにあずけりゃいいのか。加えて弊店もたおちゃんが娘のことで時間を削られるとしたら、これ、困りますって。

たしかにこんな学童保育をうまく、すたこく使う親もいるだろうとは感じるんですが、たおちゃんはえらく不安な時をすごしたわけです。

保育園に行けれる子供がいるとするならば、この子供たちは小学校においても同様の扱いを受けれるべきだと思うんですがねぇ。

ま、とにかく今回はよかったですって。

先回の野中広務さんのところで書き忘れてるところがあった。いや、ウイキペディアを読んだ人はいいのですが、あまり読んでないのだろうと、ちょっと書いておく。

あのサリン松本事件があったとき、第一報者のKさんがサリン散布の犯人だと疑われたんですよ。報道関係もみんなそうだった。まさか宗教団体のオウム真理教の信者が犯人とは、その時誰も思わなかったんです。

このKさんの奥さん自体がサリンの影響で重度の身障者になってしまってるんで、Kさんとしてはとんでもないことです。

その疑いがはれた時、Kさんへ野中広務さんがお詫びにいったそうです。しかも自分で運営する重度身障者施設へ受け入れる準備もしていたとのこと。Kさんは断りましたが、長野の施設を紹介されて、そこで奥さんの面倒を見たとのこと。Kさんはこれを感謝して野中さんへずっと長野産のリンゴを送り続けたとのことです。

そういえば今回自衛隊のヘリコプターが民家へ墜落したのに対し、小野寺防衛大臣もお見舞いに伺ってました。こんなの出来そうで出来ないんです。ほんと。

弊店に車で突っ込んだじじいなんか保険屋だけよこして本人は姿を現さなかった。事故当時電話も弊店のを奪うように使っておきながらありがとうもいわなんだ。関係の保険屋も怒ってましたよ。くそじじいっていうんだろうなぁ。そう、くそ大臣も多いんじゃないだろうか、と、思うんです。

ここまでの画像は女将が撮ったものです。

この後鹿野町へ行って温泉に入ったんです。

わかるかなぁ?木々を渡る風の音を耳にしながら、雪が舞う冷たい空気の中ですっぽりと首まで露天風呂につかる贅沢さが。

日曜日そうだったんです。

そんなのすぐやれちゃう。

鳥取ってのはカネはないけどえらく贅沢が出来るところですよ。

ほんと、そう思うで。

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