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さて門司港は最後の目的地です。後は鳥取へ帰るだけ。

ゆっくりすればいいのに朝早く目が覚める。一度5時に目が覚めて外を眺めようとすると、なんと、窓が露でいっぱいになってる。エアコンが効いているのに、なんでだろう。

この日新山口で12:53発の「スーパーおき4号」に乗って山陰本線を帰るつもりなのです。それに合わせてまず門司港駅は10時過ぎの電車で十分間に合うのです。

で、9時半ごろにホテルを出ました。

すると昔の門司駅を見ておきたいとの女将の希望。

そういえば「九州鉄道記念館」という標識が出てたのを思い出しました。たぶんそれだととぼとぼ歩いていきました。

現在の駅の近くなんですが、歩けば普段見ぬものを見ることが出来るものです。画像は窓の拭き掃除をしてるんじゃないかと思う。

さらには非常階段。なんかいいと思いません?

さらには、また、終点の線路があった。

と、なにやらここじゃない?てな建物が見えて来て、子供用に遊園地みたいな列車が止まってる。

これだこれだとこの時は思ってたんです。

だが、そうじゃなかった。このブログを書くのに調べてみると、この記念館は旧九州鉄道本社屋だとのこと。

で、旧門司駅は現在の「門司港駅」だそうな。

なぜに気づかなかったかって?改装中で外側は塀でおおわれていたんです。

インターネットで調べたかっこいい駅が目に入っていれば写真撮ってますよ。

まぁ、我々の下調べがされてないわけです。

ま、いいさ。神戸から門司までフェリーが出てるしねぇ。はは。

で、小倉まで快速電車です。これはすぐ着いちゃう。

「さくら546号」に乗り換えて新山口へ行くんですが、この「さくら」まで30分ほどあるんです。

30分というのは中途半端な時間で、どこか涼しいところで休むには短いし、暑いホームでは少し長すぎる。

結果はホームに上がりました。

新幹線を眺めていたんです。いやぁなかなかかっこいいです。独特なデザインです。昔最初にこの先頭車の形を見た時、ドナルドダックの口ばしを思い浮かべて驚いたものです。

もうここには来ることもないかな。どうなんかな。

11:03発「さくら546号」が入ってきました。これも新山口まですぐなんです。11:21には着いちゃう。

と、いうことは「スーパーおき4号」の発車が12:53だからごっついこと待ち合わせ時間があるんですよ。

あったらしい(新しい)ぞ、という感じの駅です。

昼食をどうするか?と、コンビニがあったんです。サンドイッチと飲み物を買ったんですが、なんと、くじが引けるとのこと。そして、チオビタドリンクが当たりました。このドリンクはカバンへ入れられて鳥取までは思わぬ旅をすることとなるんです。我々はコンビニで涼しい待合所を聞いて、そこで座ってました。時間はたっぷりあるのにです。

まぁ、要するに私にはエネルギーがなくなっていたんですよ。

どうですか?見慣れた車体ですぞ。これまで見てきたJR九州の列車に比べるとダサいが、だから安心してしまう。そんな山陰本線を走る特急「スーパーおき」です。

新山口から鳥取まで5時間以上走るのに、2両しか連結されてない。鳥取でよく見るたいてい2両の「スーパーまつかぜ」とおなじですよ。1両は指定席だから自由席は残り1両しかないわけで、少ないんじゃない?と感じたんです。

やはり混んできました。ところが人相は悪くない中年の男の人が6席くらいを先取りしているんですよ。大きな荷物を持って席を探しに来た人に、もう席が埋まってることを告げてるんです。仕方なしに大きな荷物の人はまたもと来た方へ去っていきました。しばらくしてやって来たのは高校生?大学生?のクラブの女の子たち。まるでお姫様かな。席を先に来たコーチらしき人がとってくれてるわけで。見ててなんか不快な印象を受けました。

たとえば任天堂のゲームを買うのに、電気店が開店前から一人だけ並んでいて、開店前に5人くらいそこに入って並んだら、その後ろに並んでいる人はきっと怒るに違いない。これと変わらんのじゃないかな。

まぁ、その中の一人が途中で子供だったか?年寄りだったか?に席を譲ったから、なんとなくほっとしたけども。

さて「スーパーおき」は軽快に、あ、いや、待ち合わせで少し遅れながら、東へ向かい走っていきました。

山陰本線はけっこう海が多いです。天気もいいし、これは気持ちいい。あ、冬の低く垂れこめた鉛色の厚い雲もやはりかっこいいですよ。

観光の売り物になるんじゃないかと思う。

旅立つときは梅雨が明けずに曇りだったものが、この数日いい天気です。

すると、どの駅だったか?見慣れた色の各停列車が止まってた。別名「たらこ列車」。なんかほっとします。山陰本線だで。

この駅はどこだったか?JR西日本の豪華列車「瑞風」のシール?が張ってあり、なんか周りも奇麗になってる。この列車6カ月後まで予約がはいってるとのこと。切符高いのにねぇ。金持ちがいるもんだ。

すれ違う列車は「たらこ」が多い。一列車ごと漫画なんぞを描くんじゃなく、大胆に色でデザインしたらどうなんかなぁ、と思う。

じきに倉吉。

妹から携帯にかかってきた。夜のごはんは作っといたほうがいいのか?とのこと。

そうなんです。大女将の世話をこの旅行中やってもらってる。店は4代目と店舗補佐たおちゃんに任せて出かけたわけです。みなさんには女将共々感謝しております。ありがとうございます。

そしてすぐに鳥取です。

帰ってきました。

一週間かけて距離にすると2,100キロほどでしょうか。

いやぁ、暑かった。どうも夏の旅は私には向いてない。そう思いました。

おわり。

 

 

 

 

 

 

今日は8月18日(金)で今は陽が当たっているが、その前は曇り。早朝3時ごろ雷が鳴ってたいそうな勢いの雨が降った。飼い猫「もなか」も目を覚まして落ち着かない様子であった。

さて7月13日(木)の午後遅く、ホテルに帰ってきた。

このホテルは「プレミアホテル門司港」というんです。この九州旅行でのホテルでは一番良かったと思う。画像の一番上、9階の一番手前、四角い窓の部屋です。すでに荷物は部屋へ運ばれており、室内を初めて見るわけだけど、デザインがいいんです。窓から机から風呂から、とてもいい。

眺めも悪くない。こちらはレトロエリアで、これとは違う海峡側がこのホテルの売りらしいんです。だけど、西側だし西日がはいるのじゃないかと思う。第一海の夕日なんて賀露海岸で慣れてる。そんなんより内装がいい。

これ風呂。大理石張り。ユニットバスではない。で、扉も開き戸ではなく引き戸だった。めずらしい。

これはベッドサイドにある窓と机。ダブルベッドだからスペースが少し狭いけど、窓枠は空色、机は丸くて濃い緑。凝ってますって。しかもカーテンではなくヨーローッパの映画なんかに出てくる木の斜めのサンで出来た窓というか、これが室内側に作ってあるんです。

これは化粧台というか、どこのホテルにもついているものですが、濃いブルーですよ。凝ってるでしょう。ワイングラスとかウイスキーグラスなんかも置いてある。ただ、まったく非の打ちどころがなかったかというと、あったんですよ。それは部屋に備え付けの小さな冷蔵庫が冷えない。結局フロントへ電話をすると冷蔵するものはフロントへもってきてほしいとのことでした。まぁ、飛び切りの美人でも虫歯が一本くらいはあるものですよ。

さて、そろそろ夜の食事にと、やはり水際にあるビール工房へ出かけました。どんなビールがあるのか?どんな食事ができるのかな?との期待を持って出かけたんです。

ま、しかし、何とかビールの名前なぞ、今になればまったく覚えてはいない。暑いところをがまんして一日歩き、水も控えめにしてここへ来たんだから、そりゃぁ、うまいで、何とかビール。

ビールにはソーセージだろうと注文し、幾種類かのソーセージが出て来て、これは、画像にないが食べてしまったんです。ビールによく合う。さらにメニューを見るとガーリックなんとか、てなのが目につく。だが、女将はニンニクがダメなんです。餃子は食べれるがその他のニンニク入りの料理はダメなんです。で、モッツアレラチーズを使った何とかというメニューを注文した。

ビールも他の種類のものを注文したが、売り切れとのことで、同じものです。この夜は今回の旅で一番豪華な食事ではなかったかと思う。

外へ出ると夕焼けであった。あぁ、やっぱり海に夕焼けはよく似合うと思ったりしたんです。

腹もよくなっているしねぇ。

これがその店。

ビールを飲んで、海と夕焼け見ながらぶらぶらとホテルに帰る。

なんとロマンチックで贅沢なんだろう。あぁ、若ければなぁ。

つづく。

 

さて7月13日の門司港です。時間は昼過ぎ。

周りを歩って見ようとぶらぶら歩く。暑いで。

オルゴールの工房がありました。ここでなくても観光地に時々あります。人間て音にも美しさを求めるものですねぇ。金属の爪で金属の板を弾く。優しい音色をだすわけですが、よくぞここまで考えたものです。

眺めるうちに、7月の末に鳥取へやってくる孫たちに土産として買ってやろうと思ったのです。

沢山ある中で「海の声」と「大きな古時計」を買ってやりました。そして実は私も一つ買ったんです。だが、これは失敗だった。「赤とんぼ」を買ったんです。奇麗な曲です。だが、鳥取に帰ってぜんまいを巻き「赤とんぼ」が流れた時にどんなイメージが浮かんだか。

実は鳥取市のごみ収集車の姿が浮かんだんです。いつもオルゴール風の「赤とんぼ」を鳴らしながらごみを集めに来るんです。いや、大切な仕事なんですが、オルゴールを掛けるたびにこれを思い出すのはかんべんしてほしい。

さらに別な土産店へはいっていろいろ見ていた。と、女将が「たおちゃんになんか買ってあげようか。」と云って、ガラスのネックレスとかを眺めだしたんです。

だもんだから、ワシも探し始めたんです。良さそうなのがあったんで、

「これ、ええが?」というと、

「あんたはなぁ。(あんたはこんなの好むだろうけど、こんなのはいけんだが!)」

さらに他のを見つけて「これ、ええがないや!」と言うと、これがまた

「あんたはなぁ!」

私は選ぶのやめました。

一人この店を出て外に出ました。だが腰掛けるところもない。とになぁ。

と、しばらくして女将が出てきた。なにも買ってない。で、別な店へ歩き、

「ここへ入ってみような。」と、のたまう。

断りました。水際に椅子があったので海を眺めてた。

と、若い観光客の女の子が三人。

「すみませ~ん!シャッター押していただけませんか?」

しょうがないので押してやった。

しばらくして女将が出てきた。

「スヌーピーの〇◇◆買った。」と、云いながら。

何を買ったのか私は知らない。

ところでこの周りには小さなフグを焼いて売っている、さらにはビールも。まぁ、下関海峡だからフグなんだろう。で、女将は食べてみたいと一匹買う。

私は少々食べてみたが、こんなもんかと思う。

こんな高い建物もある。これはなんだったか?

この地域はそんなに広くはない。まぁ、海があるから都会の人には受けるんじゃないかと思う。

で、レトロな建物があった。旧税関所だそうな。

レンガ造りで、なんか監獄だったといってもいいくらいいかめしい。

まぁ、密輸なんかも取り締まるところだろうから、いかめしいのも、もっともかもしれない。

この二階からいかめしい役人が下を見張ってたのかもしれない。

これは光の加減でかっこいい。

この鉄扉(?)もなかなかいいものです。作者はわからんけど、職人が細工したんでしょう。

窓から見える建物はビール工房で夜のご飯はここで食べるつもりなんです。

さて、この辺りは見た。暑い。

で、ここから下関へ渡る観光船があるんで、それにでも乗らなければ、もう見るものがない。海を見てても暑いだけです。

で、船着き場の待合室です。ここから下関、さらには巌流島へ渡れるとのことで、900円。行かなしょうないで。

関門海峡大橋というのか、すぐ近くなんです。

さらにはこの観光船の操船は、なんと、女性というより、女の子なんです。なかなかかっこいい。

この船の中は涼しい。

すぐに下関へ着いちゃう。暑いのでもうばてちゃう。で、昼だし食事ができるところはと、探すんです。あるんですよ。たくさんある。だが、いかにも観光地といった風情で、また、フグがどうのこうのと見本の写真にな貼ってある。こんなの食べたくない。普通の食事がしたいのだ。

足はいよいよ重くなるわけですよ。

そういえば、ここに着いたときに船の待合所とその近くにモスバーガーがあったのを思い出し、そこへ向かいました。

これは助かった。涼しい。

まずはアイスコーヒーを頼みました。そして代表的な商品の「モスバーガー」ですよ。久しぶりに食べるそれはうまかったです。まさか下関へやってきてモスバーガー食べようとは思ってもみなかった。

食べ終わり、ここを出て、女将は言う。

「魚市場へ行ってみようかな。」と。

これは先ほど食事処を探して元歩いた方向で、300メートルくらいかな。私は思ったんです。なんで魚の顔を見るためにまた歩かないけんだい!

「ワシは行かんで。」というと、

「私ぃ一人で行ってこようか。」

このあたりが、平均でも90歳ちかくまで生きるばあさんと80歳までしか生きれない爺さんの違いだなと、またしみじみと感じたのです。

ま、女将が帰ってくるのを船の待合所で静かに涼みました。

しばらくすると土産を入れた紙袋をぶら下げて帰ってきました。

次は巌流島です。

船島とも云います。言わずもがなの宮本武蔵と佐々木小次郎が果し合いをしたところですが、まぁ、この話もどこまでがほんとなのか。なにもない島です。ほんと、影もない、暑いだけ。

ま、海見て、関門海峡だから、長州の連中がここを通る外国船に攘夷だと言って大砲をぶっ放したんだろうと、そう思ったり。さらには仕返しで四国艦隊にめちゃめちゃにやられたんだろうと思ったりして。そうか、薩摩もイギリスと薩英戦争をして、外国の力をしみじみと身に染みたわけだわなぁと思ったりして。そこで長州も薩摩も実質攘夷をやめて外国に学ぼうとするわけです。

人間てものは、困らぬと力を発揮できないものかもしれない。

で、ホテルへ帰ってきたんです。夕食までの一休みだで。ほっとした。

もうちょっとつづく。

 

 

 

博多では4分後の「特急きらめき4号」へ乗ります。

その前に博多駅に近いところで画像のつり橋が目に入った。なんの橋なのか、今でもわからない。

さて、これが小倉まで乗る「特急きらめき4号」です。やはりヨーロッパによく似たのが走ってる。というより、日本によく似たのが走ってる。といったほうが正しいようです。「ソニック」ともいうみたいです。

この列車、とてもいいです。まず客車の中央あたりに荷物置き場が設けられているんです。さらに座席の上の荷物置き場は旅客機と同じ方式です。

それだけではない。乗っていてとても静かなんです。揺れない。在来線であるのに新幹線みたいな乗り心地でした。一度乗ってみてください。

以前は「特急つばめ」として運行していたらしいです。

小倉に着いたのが11:28。

「きらめき」を降りて、次は門司港まで快速で行きます。

11:38発だから10分ほどの待ち合わせです。

ここまで来れば門司港はもうすぐです。

門司港行快速電車は11:52着だから十数分で着くんです。内部はいかにも在来線の一般電車です。

昔は港として栄えた駅なんだろう。貿易で栄えたところなんだろうと思ってた。だから大きな駅を予想してたんです。そうじゃなかった。現在は小さなものでした。

ここも終点の駅です。各線路はここでストップです。

我々の走ってきた線路も終点です。今回の旅行はJRの終点が多いです。いや、始発でもありますが。

枕崎、長崎、佐世保、そしてここ門司港です。そういえば大阪から船で着いた志布志港のJRの志布志駅も日南線の終点でした。乗ってないけど。

さて、門司港の駅です。

観光地ですよ。人力車なんぞが置いてある。しかも明治ごろの衣装を着けて写真も撮れるようにしてあるんです。

まさしく「門司港レトロ」なんでしょう。

駅を出るとすぐに海があるんです。

船で荷物を運び、さらに列車で全国へ運んだんでしょう。今でも海が生活の中心のようで消防車にも「水難救助隊」なんて文字がみえる。

もちろん巡視船も停泊してますよ。

鳥取で地図を調べた時に、この駅とホテルはすぐ近くだったんです。まだ昼の12時です。チェックインはまだ出来ないものの、まず、荷物を預かってもらおうと考えたんです。

思ったより大きな、そしてレトロなホテルです。

荷物はすぐに預かってもらいました。

で、見学です。暑いですよ。

我々が来る以前に大雨で天気が悪かったのか、観光客はそんなに多くはないようです。

我々の行き先、大雨で路線も止まってたりしたのが、我々の立てた計画を変更することなく、最終目的地のここまでやってきました。不思議です。

かってはもっとたくさんの古い建物があったんじゃないかと思うんです。小樽も同じ港を中心として栄えた街ですが、倉庫とかの建物がけっこう残っています。もっとも40年前に見た時よりもかなり減っていましたが。ここ門司港はそんな古い建物が少ないです。

海があって、岸壁があって、そこにホテルがあって、土産店があって、といった感じです。

つづく。

 

 

 

平成29年7月13日(木)の朝は佐世保で迎えました。

この日は最終目的地の「門司港レトロ」です。こんなの私は一切知らなかったんですが、計画を立てる時に女将が「ここに行ってみたい!」とのたもうたのです。

どこのホテルもあまり変わりのない朝食バイキングを、しかしおいしく食べて、支払いをし、あ、ここはカードのポイントがあったんでとても安くなりました。なんでもつかわにゃ損です。

駅まですぐなんですが、少しは違ったものをと、昨日とは違う道を行きました。

一般の人が交通整理をしていました。

駅に着いて目に入ったのが、Hさんが土産によく買ってくるせんべいが並べてありました。名物なんだ。女将もここで土産にと買いました。

この日の予定はゆっくりです。

出発が08:06でもいいし、08:47もある。さらには09:44でも十分いけるんです。

結果は08:47の「特急みどり8号」です。

佐世保線、長崎本線、鹿児島本線の在来線を200キロほど走ります。もちろんジパングクラブで30%引きです。

この画像は「みどり8号」の窓がえらく光って鏡のようになってたので、夫婦で写真撮った。

で、鳥取に帰ってから、そういえばと思ったことがあるんです。

この佐世保にもアメリカ軍基地があります。横須賀にもある。岩国にもある。三沢もそう。そして何と言っても沖縄です。そして沖縄では以前ほどではないにしても、いろいろな事件が、アメリカ兵に起因した事件が報道されます。だが、他の基地ではほとんど聞きません。なんでかな?と思うんです。

まぁ、基地が日本国内にこんなにもたくさんあるのは何とも言えませんが。

さらに鳥取で、そうだった!と思い出したこと。

考えたら「佐世保バーガー」食べてなかった。

鹿児島でも「芋焼酎」飲んでなかった。ホテルの売店に売ってあったのになぁ。

本場で食べて、飲んでみたかった。

そう思う。

この時は、そんなことも思わず列車は佐世保を離れていきました。

博多まで2時間ほどの列車行です。

途中佐賀の手前かな。

また広い平野がありました。佐賀藩でしょう。薩長土肥といわれ、幕末には官軍方の代表藩でした。アームストロング砲を製造できたのが一つの原因でしょうが、その他にも蒸気船、製鉄等、薩摩藩より進んでいたかもしれません。人物もだしています。江藤新平、前島種臣、大隈重信なんかが記憶にあります。

薩摩では西南戦争がありましたが、佐賀ではそれより前に「佐賀の乱」がおきています。やはり大久保利通をトップとした明治新政府に治められていますよねぇ。確か斬首された江藤新平は新政府の要人だったのになんともです。人間てのはボスは少数でしか生きられないのかもしれない。

少し調べてみると佐賀は35万7千石だそうな。鳥取は30万石だからそんなに違わない。だが薩長土因とはいわない。

鍋島閑叟さんがえらかったのかな。でも教育とかもかなり厳しい藩だと記憶している。

そうか、広いから熱気球の大会が出来るわけだ。

終点博多には10:34着です。

つづく。

 

 

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