» 2015 » 11月のブログ記事

とれた歯の詰め物はただちにあくる日27日歯医者へ行き、それも午前中10時というとんでもない速さです。

歯医者へ電話したら、「今でも。」との言葉でした。

だもんで、いまだ!とばかりに飛んでいきました。

この歯医者さん「今田歯科」っていうんです。

ついでに上下の歯のクリーニングもして、すっきりです。

ただ上下のクリーニングには40分くらいかかるんで、口を開けてる顎が極めてだるかった。

治療には、若い歯科衛生士さんが私の顔のすぐ前までせまってくるんで、眼をどこに合せたらいいのか、困ってしまう。

めったにない経験です。

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さらに神戸の甥のところへ子供が生まれた。

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妹がメールで写真も送ってきていた。

そういやぁ返事を書いてないや。

大女将に見せたら返事を忘れていた。

大女将には5人目のひ孫です。

女の子は二人目だ。

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年賀状とか和菓子教室とかの準備をしているのだけども、疲れたかな。

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明日はまた忙しいぞ。

千個ほどまんじゅうを作るんです。

なんで儲からんのだ?

今日の正午ごろでした。

普段より早い昼食を摂ってたんです。

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というのも13:30からHACCP(衛生にかかわるむずかしい事柄)の講習会があるので、これを受けるべく東部合同庁舎へ行かねばならなかったんです。

一人で食べてた。

女将が買って来ていたおいしそうなかつ丼弁当です。

ほんと、卵とじの様子からも美味そうで、さらに太りそうな強力弁当なんです。

さらに、さらに昨晩のおでんの鍋がテーブルの上へ置いてある。

当然少し残ってるんです。

竹輪やら、さつま揚げやら、大根やら、そう、こんにゃくもあるし、天ぷらもある。

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ま、とにかくかつ丼弁当をおいしく食べて、それでやめればいいのに、もう少し胃袋には余裕がありそうな感じ。

冷たいがおでんの竹輪を食べた。

竹輪にまつわりからむ出汁もまた美味ですなぁ。

さらに胃袋にはまだ余裕がありそうだが、まぁ、太るのは血圧にもよくないし、と、ここで諦めがたきを諦めてお茶を口に含んだのです。

うっ?、なんだ?舌の上に?

あ、もしや?

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そうですよ、指で採ってみれば虫歯に詰めてた金属の詰め物ですよ。

歯医者へ行く面倒くささがおしよせてきました。

でも、しかたないわなぁ。

生きとれば、いろんなことがあるもんです。

大坂では「大阪維新の会」が府知事、市長と両方とりました。

人気の安倍自民党も太刀打ちできずといったところです。

大阪の問題点がはっきりとしてきたのでしょう。

旧来の大阪の、この問題を打破するのは橋下元知事、市長だということなのでしょう。

一般の市民が賢くなってきてるんでしょう。

でも、大変だ。なんでもが。

さて、弊店の和菓子です。

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若き力を尊重してまかしてみました。

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自分なりに造っていくのは、しんどいものの、楽しいものです。

去年も作った「落葉」を若い感覚で表現したのは店舗補佐たおちゃんです。

色が違います。

優しくて深い色に作り変えました。

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どうですか?

新しくなりました。

さて練切に続いて上用まんじゅうです。

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どう?若いでしょう?

これ、私の製作です。

「冬近し」です。

高齢者のものとは思えない若さ感覚です。

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これは鹿の子ですが、ちょっと工夫したんです。

「枯葉」なんですが、若い感覚は葉を赤に染めて、さらに薪、枯れ枝を加えました。

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和菓子も若返るのです。

あ、そうだ。

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来月近くのみたから保育園で講習するかしれない「雪だるま」「スノーマン」。

今回はマフラー巻いているんです。どんな名にするのか?

たおちゃんが講師です。

朝トイレにはいり、扉を閉めた。

さあ、これからという時、大きな音が響いた。

家中に響いた。

ズシーン!

一回ですんだが、木造だから実によく響く。

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急いでパジャマをあげて音源へ急いだ。

女将の部屋である。

何ともなかった顔した女将がいた。

「なんだぁ?今の音は?ごっつい響いたで!」

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「あはは、足が蒲団に引っかかって、落ちただが!」

ベッドから落ちたとのことです。

いろんなことがあるもんだ。

(画像は10月30日のものです)

昔NHKで「そのとき歴史が動いた」をやってたでしょう?

YouTubeでそれを仕事中に聞いてたんです。

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最初「長篠の戦い」でした。

信長の三段撃ちのデビューですよ。

これがきっかけで武田家が滅ぶきっかけとなった。というのが小説なんかで書いてある事柄なんです。

まぁ、そうなんです。

が、信長の三段撃ちは、この鉄砲の三段撃ち作戦だけで勝ったわけではないようです。

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もっと準備を整えていた。

砦というか城も作った。

歴史の表面には出てこない、とんでもないほどの土塁、空堀、馬房柵とたくさんの準備をしているわけです。

そりゃぁそうだと思いましたです。

山登りだってたくさんの準備をしてないと、これをおこたると大変なことになってしまいます。

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次に武田信玄さんですが、これは時の日本で一番の弓取りと言われました。

一番の実力の武将だと思ってた。

ところが、この人の苦労、努力は大変なものです。

武田晴信と云うった時代はとても家来たちがついてこない。

「人は石垣」どころか、石垣が言うこと聞かないわけです。

信玄の家来に対する気遣いたるや、これまでのイメージからでは信じられない。

いわゆる、ドラマの殿さんではないんです。

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そして実力ナンバーワンの武田軍として完成するのが家康との対戦であった「三方が原の戦い」の時だったそうですよ。

この後53歳の信玄は間もなく倒れて亡くなるわけですよ。

ねぇ!人間て、歴史上でも有名な武将だろうが大変だで。

さらに息子の武田勝頼ですが、多く父親の信玄と比べられて、だいぶ劣るように思われていましたが、領土を以前より広げてたりするんですよ。

一生懸命だったと思うし、かなりの実力者だったようです。

最後天目山で亡くなるんだけど、たしか妻も一緒に自害するんじゃなかったんかな。

視点を変えれば、愛情物語が小説に出来るんじゃないかなと思うんですがねぇ。

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信玄は小説では諏訪氏の娘である湖衣姫、または由宇姫に大変に惚れたんですが、勝頼は北条氏から来た嫁に惚れてたんですよねぇ。

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最後までこの嫁は勝頼に付いてきたわけで、ええがな。なぁ。

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戦があたりまえの時代だからこそ、夫婦とかの想いを大切にしたのかもしれない。

勇将の柴田勝家とお市さんもそうでしたねぇ。

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