» 家族のブログ記事

明けましておめでとうございます。

前もっていっておきます。画像は以前のものです。

さて今日は元旦です。

大女将が骨折の後ずっと施設に入院していたのですが、本日退院の運びとなりました。

けっこう荷物も増えていて、車で二度通いました。

同じ施設に近所の元散髪屋さんも入っていて、歳の割にはけっこう元気そうに見送ってくれました。わが町内は古い町ゆえに年寄りばかりが目立つんです。

帰りにはさらにまた年寄りのところへ寄りました。女将の実家です。その母親も大女将とは似たような歳で、やはり動き辛そうにして、大女将と二人、何とか元気なのを喜んでいました。

年賀状も来てました。

こう、正月となると普段の時間間隔がおかしくなって、調子が狂ってる。そんな感じがあります。

さて、なんやかんやで遅くなりましたが、今夜やっとおとそと餅ををいただきます。

我々の生死というものは、我々自身の命すら、どうこう出来ない。

そんなことは昔からわかってるわい。と、思ってるんです。皆が。

だが、いざそうなったらどうなのか。

今月はじめに女将の父親が亡くなりました。95歳でした。俗にいう大往生といえるのでしょう。それでも女将の母親は折につけて涙します。

さらに昨日の深夜息子の義母が亡くなりました。我々夫婦とは同世代なんです。同級生です。

とてもなかのい夫婦なんです。その夫婦は。

だが、こうなってしまいました。

我々も、なんとも、どうにもできない。

和菓子屋にとって、この時期我々は葬儀にも行くことも出来ません。

今は冥福を祈るばかりです。

なにがなんだか、えらく速い一週間でした。

3日の日曜日女将の父親を見舞いに行ったんです。女将、四代目と私。

見た印象は95歳とはいえど、まだまだ元気だと思ってたんです。実際本人が食事をしてた。

そしてまだ暗い翌日の朝、階下の電話が鳴りました。そして鳴りやまない。その不吉な予想は残念ながら当たっていました。

「え!?息がとまったあぁ!」というせっぱつまった女将の声が聞こえました。

すぐに病院へ連れて行きました。

だめだったと分かったのはすぐ後でした。

そのあとは仕事もあるし、葬儀のこともあるし、てんてこ舞いといった感じかな。

葬儀は無事に済みました。

十数年会ってなかった親類の人たちにも会いました。

我が家では海外から長男と孫たちも帰ってきました。

一生懸命に生きた女将の父でした。皆に慕われていたのです。

女将は、その集まったみんなの様子に、いい葬式だったと何度も言ってます。さらに、お母さんが心配で実家へ今日も様子を見に通っています。

今日は第二土曜日で店は明日も含めて二連休です。孫たちは今日の朝帰っていきました。

そんな一週間。

大女将が骨折で入院して、その部屋には主がいないわけであるが、なにかが抜けたようでポカンと寂しい。

そんな空虚さを飼い猫「もなか」も感じるようで、大女将の部屋へ一人で、いや、一匹で入ってその姿を探してる。ときには大女将を呼ぶように寂しい鳴声を続けながら、部屋を歩きまわっていたりする。

どうももなかさんも我々一家の一員であり、その中の一人の姿が見えないのには不思議に思っているらしい。

まぁ、もうじき病院は退院だ。で、次はリハビリが始まる。

最近のなまものですが、まず「枇杷」だ。

練切で作ってある。さらに「麩まんじゅう」。

小麦粉をこねる時に、寒い冬なら大丈夫なんですが、暑い夏だと粘りが出るんですよ。これは小麦粉の中のグルテンが、あ、たんぱく質ですが、ガムのようになって一度延ばしてもまた縮んだりするんです。これを業界では「フがでる。」といいます。

こうなった生地では餡を包むことはできない。そのためにも薄力粉を使うわけです。

で、うどんなんかは強力粉と中力粉なんかを使って踏んづけて「コシ」を出すわけです。

このたんぱく質、グルテンを集めたのが吸い物に使う「麩」です。

さらにこのグルテンを利用して饅頭にしたのが「麩まんじゅう」となるわけです。

で、話は変わる。

父の日です。

先日息子と孫たちから電話がかかってた。まぁ、孫からいえば父ではないがグランド父ということになるか。それで送ってきたのが、そう、ウイスキーだで。

見たことは、もちろん飲んだこともないウイスキーだ。ビールは太るんで目下ハイボールをこさえて飲んでいる。だからありがたい。

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