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ながい間かかって読んだんです。久しぶりのハードカバーのものです。

「コンビの研究」半藤一利著です。

どんな本かというと、そりゃぁ読んでみればよく分かる。あ、読んで下さい。

時は太平洋戦争の前からその終わりころまでなんですが、その間に大きな作戦に対しその命令を下した人たち。特に一人ではなくカップルで考えると、ああ、そうだ!ということもえらくあるもんで、そんなまとめ方をしてあるんです。

陸軍、海軍の人たち。将軍から参謀たち。読んでるとたいてい腹が立つ。その愚かさ、考えの足りなさ。謙虚さの無さ。でも陸軍大学では優秀な成績だったりするんです。

そりゃぁ日本は負けますって。とても合理性なんてものはない。あるとすればその人の小さなそれ。言葉を変えれば、その人にひそむ欲ですよ。権力欲、名誉欲、と。これによりどれだけ一般の兵隊が庶民が犠牲になったか。

あほな作戦をごり押しし、無数の犠牲者。

だが、戦後も責任を問われずに、生き延びる恥知らずもいるわけです。

なんとも、服部卓四郎、辻正信、牟田口廉也とか、ましてや、東条英機、島田繁太郎、さらには満州事変を起こした石原莞爾、板垣征四郎、なんて人も載ってます。

また、心情的にそうだでと、うなずける将軍たちもいます。

山下奉文と武藤章、山本五十六と黒島亀人とか。沖縄戦では牛島満と長勇と、悲惨な作戦もあります。どれも、もう手遅れのことがらなんです。

残念ながら、日本は負けるべくして負けたようです。極めて合理性に欠けてたようです。まぁ、体制がそうだったんでしょうねぇ。日清戦争、日露戦争の時とは違ってたようです。慢心かなぁ。

読んでみて下さい。

ワシ次は同著者の「ノモンハンの夏」だで。司馬遼太郎さんも書けれなかった「ノモンハン」だゎ。

今日鳥取は雪が時々降っていました。

さて本題です。

ながい間かかって読んだんです。

「日本のいちばん長い日」ですよ。半藤一利さんの書いたものです。なんせおこもり部屋でしか読まないので長くかかるんです。で、その前に「日本国の憲法の二〇〇日」を読んでるんで、さらにまたその前に「あの戦争と日本人」を読んだんです。順序が逆だけどもねぇ。

だが、皆目記憶に残ってないんです。いや、ちょっとはある。GHQの力。日本の首脳のバカらしさ。さらにはジャーナリストの不甲斐なさ。なんなんでしょう?幕末から明治のころの人たちは、もっとしっかりしてたんじゃないのかなと思うんです。

日本国憲法が出来るまでの様子。GHQの力。マッカーサーの思い。この辺りは皆さんに読んでもらいたい。原爆が使われたいきさつ。なんともです。さらに玉音放送が流される前の8月15日に至る14日からの息詰まる一日。「日本のいちばん長い日」は映画にもなってますよ。阿南陸軍大臣には役所広司さんが扮してました。15日に腹を切るわけです。

私は戦後生まれなので実際の戦争中の事とかを知りませんが、それでも、占領されたのがソ連でなくてよかったとは思いますって。

ひょっとしたら、北海道、東北はソ連の統治になっていたかもしれない。鳥取はイギリスの管轄かな。思えば爺さんがいってたが、インド人が駐留してたとのこと。なるほど、と思う。

何が左翼で、なにが右翼かは知らんが、当時GHQがこれは役に立つと考えたその連中は、本来東京裁判にかけられることを免除されたみたいだ。いつの世にも世渡りのうまい奴がいるもんです。

だが、一番の問題は、日本人がなんで、あの戦争に踏み込んでいったのか?ということです。さらに、戦後すぐにアメリカナイズされたのはなんだったのか?とも思う。だって、原爆にしても各地の無差別爆撃にしても、もっと腹をたってもいいのではと思うんです。

日本の我々が、あれは、なんだったのかとしっかり考えぬと、また、同じように破滅的な戦争に巻き込まれてしまうのではないかと心配するんです。

 

今「戦士の遺書」ってのを少しづつ読んでるんです。著者は半藤一利さんで、この人は数年前くらいまでNHKの歴史ものの番組によく顔を見えてた優しそうな人です。

太平洋戦争は我々が生まれる前に終わってるんですが、いや、戦争が終わって外地から兵隊であった男たちが帰ってきて、たくさんの子供たちが生まれたんです。その一人が私ですよ。団塊の世代というんです。この世代もえらく歳をとって高齢者の仲間に入り日本の65歳以上が三千万人を超えてるんだったか?戦争を知らない子供たちです。

で、本のなかには27人の最後といっていいだろう時の言葉が載っているんですが、なんとも、時代が人をつくるんでしょうか、人が時代を作るんでしょうか。いずれも自分の責任を果たしたといえばいいのか、逃げなかったといえばいいのか、昔の武将のごとく部下を助けるために、すべての責任を一身に背負って逝った人なんです。

記憶に残る言葉とかを記しておきます。

まず山本五十六です。

アメリカとの戦争に大反対した人です。

河合継之助と同郷ですよ。なんともです。山本家に養子にいったんですが、この山本家は幕末に継之助が負傷後長岡藩の指揮をとったということです。

残してることばの一つに「百年兵を養うは一日平和を守らんがためである」とある。

日本のことを考えず利己的に生きた、昇進ばかり考えた偉い参謀やら将軍やらに耳ほぜくって聞かせてやりたい。

軍の、日本の機構も改革されてなかったんでしょうねぇ。明治の頃とは危機感やらも違ってたようです。

ところで鳥取県出身の二氏が載っています。

一人は戦艦武蔵の艦長海軍少将猪口敏平。賀露出身だったかな。海軍砲術の権威だったそうですが、結局46センチ方は役に立たなかった。全員退艦の命をだして、そのまま艦とともに一生を終えます。

もう一人は陸軍中将岡田資。

この人はB29 が墜落したその乗務員を死刑にしたことで、戦後戦犯に問われます。昭和24年9月17日に絞首刑になります。

東海地方の方面軍の司令官でした。部下を助けるために責任を一身に追います。さらには法廷で、無差別爆撃を非難するんですが、まぁ、仕返し裁判的なところもあるわけで、勝者の裁判に敗者が勝つことはできません。

その他にも不条理な戦争裁判やら、無責任な作戦命令とかに合理的に考える将軍たちがあえて責任をとらされるんです。

偉そうに命令してた無責任な将軍たちは、せっせと人のせいにして逃げてしまうわけです。

今の時代も変わらないのではないかと思うんです。

一人一人がよ~く考えようで。なにが真実か、なにが本当なのか。民主主義だから、考えて行動せないけんで。と、思う。

「あの戦争と日本人」著者は半藤一利さん。テレビでも歴史番組に解説者としてよく見た人ですよ。

IMG_9829で、あの戦争とは太平洋戦争または大東亜戦争のことです。まぁ読んでみてください。私らの知らぬことがたくさん書いてある。

そのなかでちょっと面白いことを拾い上げると、歴史が変わるときには四文字熟語が、筆者はさらに四文字七音といいますが、七音ではないのがけっこうあるので、ここでは四文字熟語とだけしておきます。

これが歴史の変換点にはよく登場すると云ってます。

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「政権交代」なんてのはそのまんま。さらに近くは「郵政改革」古くは「尊王攘夷」「尊王討幕」「公武合体」「大政奉還」「王政復古」明治になると「王政一新」「文明開化」「万機公論」「版籍奉還」「廃藩置県」「国民皆兵」「自由民権」「富国強兵」「臥薪嘗胆」これどう思います。

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これが昭和になると「天孫降臨」。これは焼酎の名前になっていたかな。「万世一系」「挙国一致」「祭政一致」とあって、聞きなれぬのもある。「天壌無窮」、これは天地極まりなし。永遠に続く大国家だそうな。

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そして昭和二十年前ごろを舞台にしたドラマをみて耳にしたのが「鬼畜米英」「七生報国」「八紘一宇」「一億玉砕」なんて熟語ですよ。

言葉自体はなんかかっこいいと思うんです。ところが言葉の裏にある実態は?

どうなんでしょうかねぇ。

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さらに、なんともいえぬ事実があります。その一部。

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太平洋戦争で亡くなった日本の戦闘員は陸軍が165万人。海軍が47万人だそうです。このうち広義の飢餓による死者の比率は70%だそうです。無茶苦茶です。飢餓ですよ。

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まだあるで。

このうち海軍の海没者は18万人とのこと。だが、陸軍は?なんとこれも18万人とのこと。思うに輸送船でやられたんだろうと思うんです。

作戦のずさんさが感じられます。

でもって、軍の偉い人はそうそう死なない。責任もとらない。

まぁ、読んでみてください。

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未だ日本は、あの戦争の反省をしてないんです。

「戦場から届いた遺書」という本なんです。著者は辺見じゅんさんです。

これ女の人なんですよ。あの角川文庫というか、角川映画というか、そう、角川春樹さんの姉さんなんです。才能ある一家というのは、やはりあるんでしょうか。

それはさておき、この本、涙無くしては読むことができません。

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若き特攻隊の手紙とか、遺書のつもりで書いたものではなく、結果として遺書になってしまったのもあり、あまりに悲惨な状況の戦局であり、やっと生き残った兵士は遺族へ報告に行けなかったものが、数十年たちやっと報告したとか、なんとも言いようがありません。

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戦場に主人を、息子を、兄、弟を取られた家族は大変です。生活がたっていかない。

以前に読んだ山本七平さんの書いた日本軍とを合わせ考えると、なんか、腹が立ちます。

責任者というのか、軍隊で位の高い将官たちが何も考えてない、人間を忘れた人たちが多かった。

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シベリアへ抑留された人たち、これって、民間人もあったんです。ましてや昭和31年まで収容所へ入れられた人も多い。スターリンのくそったれですよ。冷下数十度の収容所、さらには碌な食事もなし。これは奴隷です。

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みな家族を想って死んでいったのですが、そんななかで、この本でも最後のほうに編集してあるのだけども、シベリア収容所からの遺書はとてもすごいですよ。

書いたものは取り上げられるので、仲間がその長い遺書の文章を分担記憶して、後に記憶を文章にして、次々とその妻へ、子供へと届けるんです。

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しかもその文章がすばらしい。自らの死期が近いからそうなのか、いや、そうじゃない、長い捕虜生活でも強い意志をもって生きてきた、だから書けたのだろうと思います。

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この奥さんも一生懸命生きた。大変な苦労だが、立派に生きた。

一度この本読んでみてください。

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