» 鳥取のことのブログ記事

地方選挙がもうじきです。

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なんていうのか、鳥取市庁舎建設問題からこの小さな鳥取もいろんな風が吹いています。

市民投票を無視した前市長と与党。

結局活発でない、ずっと静かだった鳥取に市民の会ができています。

新庁舎を建てるのも必要ならば致し方ないとして、無駄な出費であれば冗談ではない。

どうして必要なのかと、そんなことも、きちんと市民には知らされてないという、これは民主主義ではないわなぁ。

さらに市議会に本来あるべきチェック機能が感じられない。

なんとも、いかんです。

市議選

切り抜きです。クリックすれば大きくなって読めると思います。

まだ問題は片付いていないのに,県会へ立候補する議員があるというのです。

どうも、市民より、鳥取の町より、自らの権力欲、名誉欲、いや、今ではその俸給もある。

そんな欲が強いようです。

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選挙の投票には行きましょうね。

白紙でも投票しましょう。

その前に少しネット等でしらべて、どんな人が、また、鳥取はどんな状況なのか調べてみましょうね。

我々以上のレベルの議員は現れないんだから。

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で、少しでいいから、物事を待つのではなく、自分から動いてみましょう。

いい街になるために。

今日の駅前です。

他にもいろいろあったんですが、とりあえず駅前です。

日曜日。

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配達で鳥取駅へ行ったんです。

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と、傘踊りの連中はさておき、上半身裸のこんなのが歩ってた。

あたまに角がある。

ごつい体だ。

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さらに高野山、真言宗のBonnさんが、ゆるキャラ作って、どうも、キャンペンはってた。

スタッフ、いや、僧たちの足は草鞋はいてた。

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と?サンダーライガーが居たんです。

テロでもなかろうに、今日の鳥取駅だゎ。

寺町から若桜街道へ出るとその右角にある、いやぁ、思い出のある喫茶店です。

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40年ほど昔です。その思い出は。言いません。

その丸福が閉店したのです。

たまに朝の散歩で女将とモーニングサービスで寄ってみようと言ってたのに、急に閉店のことを知りました。

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え?

ですよ。

たくさんの人の胸のうちに様々な思い出が宿っているに違いないのです。

もし前もって閉店になることを知ればたくさんの客が押し寄せたに違いない。

そりゃぁ県外からも絶対来ますって。

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そんな老舗の喫茶店でした。

その近くに素ラーメンの食堂「武藏屋」もあるんですが、西高生にとってこれも思い出の店ですよ。まぁそれは置いといて。

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閉店のきっかけは改装の資金が足りないとのことでした。

新聞にも閉店が載ってた。

全国に呼びかければ資金が集まってたかもしれないんです。

そんな喫茶店だった。

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もう階段下の隅っこの席には座ることができなくなりました。

今夜は月食だというのに、雲にて見えない。残念。

しかし、NHKのBSで火野正平の各地方を自転車で回るのが、今、鳥取なんです。

田後から始まって、今日三日目はは浜村、長尾鼻の魚見台。

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なんで見慣れたこの地方の風景がテレビ画面に出ると嬉しいんでしょうか?

他所の土地にいる人が故郷の風景をテレビの画面で見るのはうれしいと思うんですがねぇ。

でもワシはずっとこの鳥取に住んでるのに。

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女将も喜んでる。

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この鳥取にも他の土地の人々がやって来て住んでいるんですよねぇ。

鳥取に縁があるんですよ、こういう人は。

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いいところですよ。

鳥取は。

金はないけどねぇ。

この地方を成り立たせるためには、今、人それぞれに自分の価値観をしっかりと持つ必要があるような気がします。

石破茂 地方創生担当大臣はこの鳥取の出身ですよ。

日本で一番人口の少ない県から選ばれた国会議員ですよ。

どうなん?

鳥取の関係者はみんなメールを送ってみようじゃないの。

地方創生だで。

昨日は「しゃんしゃん踊り」でした。

雨乞いを発祥とする傘踊りです。

そして今日は「花火大会」で、ましてや「敗戦記念日」です。

いや最近は終戦記念日というのかな。

日本人が300万人くらいでしたか?なくなりました。

当時たしか6,000万人の人口でしたから大変な数の若い人たちが亡くなったのです。

やっぱり、日本として太平洋戦争というものをどういうことだったかと、追求せねばならないのではと思うんです。

さまざまな視点もあり、でもありのままを、むずかしいけど、こうだった。こうだった。と積み重ねて追及することが大切なんじゃないかと。和菓子屋は思うんです。

で、昨日の続きです。

葵の紋ですが、これは去年も書いていますが家康が浄土宗だったので、浄土宗の寺には葵の紋が許されるのです。

おおちだに神社は鳥取藩の池田さんが家康の孫だったかな?嫁にして、さらに「因幡東照宮」を造り、藩の安泰を策したわけです。

ちょっと言い方が粗野かな、ごめんなさい。

「おおちだに」とても好きなんですよ。

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家康の9代前かな愛知県の松平というところに時宗の坊さんがやって来たんです。

時宗とは一遍さんですよね。

やはり「南無阿弥陀仏」です。

さて、名を徳阿弥という。

この阿弥というのはたとえば観阿弥、世阿弥とあるように、人間世界の、社会の序列、地位戸かを無視して生きる人たちなんです。

将軍と同じ部屋で話もできる。

そんな社会の智慧なんでしょうか。

で、その徳阿弥さんは最初酒井さんのうちに泊まったんです。

と、ここで娘の腹を大きくしたんです。

当時よくある話らしいですがねぇ。

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次に泊まったのが松平さんちだったんですが、またここでは一人娘に子供ができちゃった。

なんということでしょうか?

仕方なしに松平さんはこの男を養子にしたわけです。

これが松平の、たとえば会津の松平容保さんの名字の発生なんです。

鳥取の池田の殿さんも松平ということが許されてたんじゃないかと、どうなんか。

その後時宗の人たちが浄土宗に含まれていったんです。

ところでこれがきっかけで酒井さんは代々老中を務める家になったそうな。

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でまぁ、家康は浄土宗となるわけですが、人間てのはなかなか簡単にはいかない。

家康が若いころ領地で一向一揆がおこるんです。

これもやはり「南無阿弥陀仏」です。

えらいことです。

家康はさっきまで家来であった、命をかけた戦場に一緒に戦った家来と敵として闘わねばならなくなったのです。

後とても親密になった本多正信もこの一人でした。

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この時家康の力となったのが「南無妙法蓮華経」の大久保家だったわけです。

なんとも、人間とはわからない。

ま、とにかく家康は天下をとって、征夷大将軍となったわけで、その天下は270年続くわけです。

いや、家康ほどの苦労はなしに、続くわけです。

我が家の菩提寺の葵の紋でした。

大きくなんと忘れてたことがあったんです。

13日に迎え火焚くのを忘れてた。

こういうことにやかましい大女将もなにも言わなかったんです。

まだ暗き14日の早朝はたと気が付いたんです。

私焚きました。

14日の5時半に。

前の豆腐屋さんが自販機でコーヒー出しながらおがらの燃える臭いを感じたのでしょう。

「おはよう。」と不思議な顔で言ってた。

ご先祖様申し訳ない。

きっと13日の夜は帰る家がわからず野宿でもされたんでようね。

ばちあたりです。

ところで8時になるとどーんと花火。

雨もやみ始まりました。

「あ、行かないけん。自転車で行かないけん。」

料理は途中ですてて花火の上がる千代川へ出かけました。

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昨日は「さやんしゃん祭り」で私は夕飯のでっかいお好み焼きを造り、さて今日は女将は料理途中で千代川へ。

でもね、この花火の打ちあげる連続の音のなかで、玄関のチャイムを押すやつがいる。

佐川急便の若者でした。

「まだ仕事か?」

「はい、でも。まだあります。」

ねぇ!

誰にも文句いっちゃぁいけませんて!

なにごとも南無阿弥陀仏か?

南無妙法蓮華経か?

酔った。

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