» 我々の国のブログ記事

いまNHKでやってるんです。

城山三郎さんの本で読んだことある。

昔。

株式会社を日本で作った人だったと思う。

この番組で明らかになるだろうと思う。

明治の世には志を持った気張った人がたくさん出てくる。

官にはバカも多いけど。

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話は変わる。

大女将は先日の連休で娘たちとはしゃぎすぎ、からだの方々が、痛い。

痛いのだ。

食事もテーブルまで来れない。

えらいこっちゃ。

やっと、今日風呂に入ってる。

「風呂が開いたけど、なぁ、わさわさとはいったらいけんで!」と注意したんです。

いまはいってる。

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そうだよ、あのゴロゴロ。

乳母車じゃないんだけど年寄りが歩くのに、いっしょにゴロゴロしてるあれだ。

それを少しでも楽だろうと家にあげてやっとトイレにも行けた。

そんなだった。

いま風呂から上がって私のそばをゆっくり通りながら、「ああ、さっぱりした!」とつぶやきながら部屋へ入っていきました。

おぅ、ちょっと安心だで。

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まぁ、ワシらもいずれ同じようになるわな。

はは。

渋沢栄一とはまったく関係なかったわなぁ。

こんなこともあるわさ。

雷が鳴っている。

西沙諸島ってどこにあるかしってます?

南シナ海です。

南シナ海って知ってます?

太平洋の西端です。

なんて‥‥‥。

ここです

(先の行クリックしてくださいね、地図がでるから。)

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ここで中国が勝手に石油の掘削をやりだしたようで、これっていけんでなぁ。

で、それをばかやろうめとばかりに、小さな力のベトナムの軍艦、海上保安船が30隻ここに出航していて、ところが、中国はそれよりも多くの船をここに浮かべているとのこと。

そりゃぁベトナムとしては腹立つわなぁ。

で、ベトナム船が中国船にぶつかったとのことです。

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さらにその南のパラワン島では海がめ350匹を漁していた中国船をフイリピンが拿捕したとのこと。

が、中国側はこれに抗議。

海警局の船を現場に向かわせたとの事。

地図でみましたか?パラワン島。

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どれほど中国とは離れているか。

抗議っていっても無理があるわなぁ。

どんなことをしてもわが国が正しいのだ!と言ってる。

これぞ中華思想というものか?

かなわんで。

日本人がテレビのわけのわからんお笑い番組ばかりで骨もヘらへらになっててはいけんで。

そうそう、東シナ海のガス油田はどうなってるの?

掘られっぱなしか?

この力で押してくる中国。

かってはわが国もこの国をとおして学んでた。

遣隋使、遣唐使が何を持って帰ってくるかといえば本、経といった文化です。

なのに現在のありようはなんなんだ?

脅威だわなぁ。

まず昭和の初め頃から終戦までの事柄を国をあげてどういうことだったのか、日本としての見解をまとめることが必要なのかもしれない。

もっともそれよりも、脅威がまさるか?

また司馬遼太郎さんの「この国のかたち」からです。

あ、でもこれって以前にも載せたかもしれない。

靖国神社の前身の社です。

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時は明治二年六月、戊辰戦争の後、東京の九段へこの戦争で亡くなった戦死者を祭祀する社を造ったのです。

この発案者は長州の大村益次郎、あ、その前の名前は村田蔵六というんですが、医者です。

大阪適塾の塾頭も勤めた頭のいい人ですですよ。

愛想はないけどね。

私とは大違い。

兵学にもすぐれた人です。

長州攻めの幕府軍をことごとく潰したのも、官軍の作戦をたてたのもこの人です。

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で、この人のすごさはその先進性です。

戊辰戦争の戦死者はそれまでの藩士の戦死ではないんです。

明治新政府をこさえるそのための戦死なわけで、お殿様のために死んだんじゃない。

さらに官軍方には決してそれまでの武士ばかりじゃないわけで、町人、農民と、その後の国民という近代に通じていくわけです。

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さらにすごいのはこの招魂社は神仏儒どれにもよらず超宗教の形をとったんですよ。

これってすごいと思いません?

たぶん大村さんは農民の出身だったからかもしれません。

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ところがこの社は明治12年に神道により祭祀される靖国神社となったのです。

まぁ、日本的ですよねぇ。よくわかる。

家を造るとき地鎮祭を「はらい給え、清めたまえ」となにも思わずするようなものですよ。

さらに初詣もそうだで。

大村さんの長州は「長州門徒」といわれるほどに浄土真宗がさかんなところだったようで、よく考えたうえでの無宗教招魂社だったはずなんですがねぇ。

このあたりが安倍総理にとっては困ったところかもしれません。

結局その後の日本の戦死者はみんなここへ祭られることとなるわけです。

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そうそう鳥取の国府町に陸軍墓地があるんです。

去年まで供物のお菓子を配達していました。

鳥取県と国府町が慰霊祭をしているんですが、ここには鳥羽伏見の戦いからの戦死者が祭られているはずです。

実際たくさんの墓が綺麗に並んであるんですが、その規格のそれでは数も場所も間に合わなくなって、まとめて、どーんと大きな慰霊碑があるんです。

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間に合わなくなったのは戦死者が増えすぎたんです。

そう、太平洋戦争ですよ。

日本がペちゃ潰れに潰れた戦争です。

そしていまがある。

どうしたらいい?

尖閣列島ではずっと海上保安庁の職員はかなり頑張っているはず。

マスコミはいっときがすぎればそのニュースを流さない。

報道とは?なんなんだ?

ずっと司馬遼太郎さんの「この国のかたち」を、二度目を読んでいるんですが、そこにちょっと面白い話があります。

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鎌倉時代末から室町時代、1390年前後ということになるのでしょう。

京の町では明との貿易が盛んだったようです。

行き先は寧波(ニンポー)だったそうな。

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ここにはたくさんのお寺があったようです。

そのお寺に肥満漢の像があったそうですよ。

「布袋(ブーダイ)」と呼ばれてたそうで、招副の神だったそうです。

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が!?この肥満漢を弥勒菩薩でもあると地元の人はいうそうで、こりゃぁ日本人は驚いた。

ほら、日本人にとっては弥勒菩薩といえばほっそりとした体で、笑うのか、笑わぬのか、アルカイックスマイルとかいう、痩せたモナリザみたいな菩薩ですよ。

全然似てない。

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この布袋さんは寧波の岳林寺にいた唐時代(618~907)末の契比(カイシ)という奇僧だったそうです。

この契比さんが江戸時代になって七福神の一人になるんですよ。

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で、あとの六人は神さんっだたりして、実在はしてないんですが、たったひとりの生身の人だったようです。

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なお鳥取市河原町の布袋という地名がありますが、これは大国主の命がかたにかけた袋を置いたというところから、布袋の地名がついたとのこと。

古事記に書いてあるようで、とすると、712年か?

唐に布袋さんはまだ生まれていない。

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どうなん?

関係あるんか?

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弊店の初代はこの布袋さんをよしとしてホテイ堂と名をつけたわけです。

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そして三代目も四代目も、その女将たちもそのことに引きずられて生きている。

是非とも福の神であってほしいと願うで。

忙しいとだめですねぇ。

衣食住といわれる基礎的なもののんかで、食がだめになります。

昼も弁当、夜も弁当。

それどころじゃない。

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意地っ張りの女将もくたびれはてて、閉店後「今日はカップラーメンだで!もう知らんで!」とのお言葉。

私はカップラーメンより少しは旨かろうと袋入りのインスタントラーメンにたくさんの野菜を入れて作ったんです。

大女将は「いらん!」女将は「なんにもいらん、作っただか?なら、ちょっと。」

あまりは四代目に食べさしました。

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休みがあるのはありがたい。

今女将が夕飯作ってる。

あの生活センターの弁当はもう、もう、もう、飽きた。

いや、商品としてはコンビニのよりも優れてるんですよ。

さて、マラソンだ。簡単にすます。

明日からまた忙しい。

今日は寝正月であったんですよ、なんとももったいない。

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なんで2,600人もの人が、あ、鳥取は20万人弱の人口ですが、こんなにたくさんの人が参加料払って走るのか?

普段マンションなんかに住んでる人が、人との繋がりを求めてわがままに走るのか?

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パフォーマンスで走るのか?

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ビール男はトイレへ走った。

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そんなの見てて女将は楽しいみたい。

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聞くと楽しいと言う。

さらに「あんたぁ。楽しくないか?」とのたまう。

「おもしろないで。」答えた。

そんなの頓着無しに

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面白いようだ。

さてこの後久しぶりに早春の久松山の二の丸まで上がってみた。

画像を中心に載せます。

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鳩、よく太った鳩です。

今大阪の市長選で橋下徹さんが当選とのテロップがでました。

さて、鳥取はどうなんか?

これ、関連してちょっと載せたいことがある。

いや、また、です。

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白いたんぽぽだ。

外来か?

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毛玉になっているのもあるで。

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一歩一歩空気を、春の気配を確かめながら、昔高校のころクラブで走りなれた上り坂を歩っていくのは少々気持ちがいい。

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近年城跡が整備されつつあり、景観が、昔のありさまがわかりやすくなってきているようです。

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若い頃クラブのトレーニングで駆け下った階段ですよ。

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桜はまだですよ。

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つぼみはしっかり出番を待ってる。

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こお二の丸の桜は長い間鳥取を見つめてる。

こう書いてると夕飯作成中の女将が流し台に向かいながら「ああ、疲れたなぁ。」とつぶやいた。

無視してブログを続けよう。

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仁風閣にも降りてみようと思う。

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途中猪除けのこんなのもある。

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芝生はまだ緑ではない。

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椿。

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「春の人」ゴッホならそう題名を付けるに違いない。

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陽光ウララカだ。

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そう、ゴッホ曰く、「白と赤」だと思う。

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「仁風閣」だ。

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出会橋だで。

川面に水鳥。

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その水鳥。

名前はない。

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そうだ、すぐ近くの通称「宝殿さん」の玉垣がりっぱになりました。

私が幼少のころこの欄干の上を歩って遊んでたものですが、ぼろぼろになって、今回あたらしくなりました。

費用120万ほどでしょうか、寿町一区、二区が積み立てていたものから支払います。

この神社は「火伏神社」といいます。

イザナギが最後に生んだ神、カグツチノ神といったかな?それが祭神です。

日本に神はたくさんいますが、これいいことではないでしょうか。

他のものを敬う、謙虚になるということですよ。

でも本来神には費用はかからなかったのです。

この社とかは仏教伝来に添うて成り立ってきたものです。

きょうは終わります、来週も忙しい。

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