» 我々の国のブログ記事

実を言うと今日のブログは902回目なんです。

これがですねぇ、ほんとは900回目には900回目らしいことをせんといけんで、と、けっこう、いや、数日考えてたんです。

何度も今日は何回目とか確かめもしてたんです。

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ところが、そんなとき鳥取市寿町に台風がきたんです。

孫台風というんです。

けっこう因幡地方では盆なんかの時期になりますとやってくる台風ですが、我が家は季節がはずれで来たんです。

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その同じ時期日本では選挙の嵐が収まろうとしていました。

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我が家の政治状況は女王さまがいらっしゃいますので政変なんぞはありません。

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鳥取は政変ありです。

いや、元にもどったのかな。

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なんかテレビの時間と我が家の時間は別の世界みたいでした。

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でも、どうやら同じ時間です。

同じ地球上のことがらです。

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日本はどうなっていくのでしょう?

また鳥取は?

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小さな庶民の幸せが成り立つように、日本のリーダーさんには考えていただきたい。

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いや、庶民の一人一人がもっと関心持たないけんで。

一票をもっと大事にするために、もっと議論せないけんで。

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なんのことはない、みんなが生活者として議論すればいい。

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単純な話だ。

あほな男が権力ほしくて議員になるようなことを許さないために、賢くなろうで。

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なんかなぁ、日本という国は、あっち行くと行き、こっち来るときはわっと来る。

マスコミにも文句いおうで。

なんのことはない、その構成してる国民、県民、市民のレベル以上の議員は出てこない。

5ヶ月ぶりになるでしょうか、また歯医者に通っています。

詰めてあった奥歯の縁が欠けてしみるようになったのです。

早めに行ったほうがいいと行きはじめて先日で4回目。

欠けたところに詰めた後、歯垢もとらにゃならんし、上奥歯の歯肉もやせて本来おおわれている歯の上部がかなり出てきてる。

これもうめなきゃならん、と、いろいろしてれば、こんど火曜日で5回目だ。

一万円弱払ったかな。

けっこうかかるもんだ。

国保だから3万円ほどの、商売でいえば売り上げとなる。

原料費は極めてわずかなもんだ。

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たいてい歯科医は治療台を3~4台置いて数をこなすんですよねぇ。

それはそれで大変だろうけど、なりたい学生は多いようだ。

いまや、鳥取では和菓子屋より多いかもしれない。

和菓子屋が虫歯をつくり、歯医者が儲ける。

なんてね。

しっかりと歯をみがこう。さすれば大丈夫。

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いまやけっこう目につく街中の歯医者さんですが、これって、幕末にはどうだったんだろうと思うんです。

徳川の最後の将軍は徳川慶喜ですよねぇ。

なんともいえれぬ人です。

まあ、それはそれとして、その前の将軍は誰だか覚えていますか?

紀州から来た徳川家茂さんです。

動乱の時代に数え13歳で14代将軍になるんですが、17歳のときに時の天皇、孝明天皇の妹、和宮親子(たかこ)内親王と結婚するんです。

公武合体というやつですよ。

そして数え21歳のとき脚気で亡くなるんです。

それも大坂でですよ。

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中村彰彦さんの「名将がいて、愚者がいた」に書かれているんですが、大坂でたおれたとき、その見舞いの品が書き残されているそうなんです。「御菓子 一箱、懐中ぜんざい、五色砂糖 一箱、羊羹100棹づつ3折、氷砂糖、紅白最中」とか記されているとのこと。

あまりにも、甘い物が多すぎる。と、思う。

歯を磨いてもおっつかんぞ。

さらに、和宮が送った見舞い品は「葛と砂糖」だったそうで、二人はなかもよく善意はわかるが、ちょっとなぁ。

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で、後の世、昭和33年に、増上寺の徳川墓所の改築があったとき、えらい先生が調べたそうな。

すると、家茂の、歯。

一本親知らず、これは残ってない。

合計31本の歯があるんですが、このうち30本が全部虫歯だそうな。

なかにはひどい状態のものもあるそうな。

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それで考えられるのが、脚気は脚気だがこの虫歯から菌が体に進入して結局脚気衝心をおこした。と考えられるようなんです。

脚気が心臓とかにきたわけです。

で、数え21歳で亡くなるんですが、ほんとに大坂に歯医者はなかったのかい?

歯科衛生士はいなかったのかい?

一軒の現在の歯医者があれば歯痛も口臭も防げたろうにと思うんです。

ちょっと歯が痛いだけでも、仕事にならないで。

30本はかなりきつい、と思う。

内科は松本良順というその時代のトップの蘭法医が脚気と見立てているわけで、だが、歯医者の名前が出てこない。

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現代の歯医者が一人幕末にタイムスリップしてたら歴史は、幕府の崩壊は少し遅れていたかもしれない。

あ、でも、明治維新が遅れるということは日本がロシアあたりに牛耳られていたかもしれない。

どうなんだろ?

いま「名将がいて 愚者がいた」を読んでます。

もちろん価格は1円。送料250円の文庫本です。

あ、著者は中村彰彦さんです。

私と同級生で、ただ頭の出来が違うだけです。

それに書いてあることなんです。

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そう、砂糖の話です。

徳川時代。11代将軍徳川家斉の頃の話ですよ。

在位は1787年~1837年です。

この将軍はすごいですよ。

53人の子をもうけた。

53人ですで。

男25人、女28人というから、

なんとも。

側室だけで16人。

もちろん正室は一人。薩摩の島津から来てます。

で、大奥に600人いたそうですが、この砂糖の消費量が1804年~1830年のころで、一日に白砂糖千斤(600キログラム)だそうですよ。

だからこの頃の暦の一年にて計算すると十五万四千斤(212,5トン)となるんで、ほんとか?と思うんです。

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大奥一人一日に1キロですよ。

こりゃあ、ちょっとなぁ、と考えてしまいます。

でも記録にあるのだからそうなんでしょうねぇ。

白砂糖なんか使っているわけですから、贅沢そのもので大奥のまかない料が二十万両に達してたとのことです。

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この家斉が将軍についた始めの頃は老中が松平定信ですよ。

この老中が寛政の改革といわれるような倹約を旨とし、さらに、ついでかどうか、まじめだから混浴まで禁止してしまったんですよ。

で、派手な将軍とこの老中は気があわない。

罷免ですよ。

さらに、このころはあの火つけ盗賊改めの長谷川平蔵が活躍したころですよ。

平蔵は混浴も取り締まったのでしょうか?

平蔵が市中取締りに命をけずっているころに、大奥では白砂糖をなめていた。

なんてなぁ、世の中こんなものかな。

先日の我が家の法事のときの話ですが、この法事は弊店の初代と、二代目のもので、33回忌と15回忌だったと思うのですが、

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四代目はこの回忌にあわせて馬券を買ってたそうです。

単勝3枚。

300円。

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で、法事は夕方だから、もう結果は出てるわけで。

塔婆に書いてある33回忌、15回忌がやたら目に付き、笑いがこみ上げてきたそうで、そのあともよう飲んでたわ。

四代目はなんと、万馬券を手に入れたそうなんです。

いや、これも仏様のおかげ。

ナマンダブ、ナマンダブ。

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と、上記のことを書こうと思ってたわけじゃなく、この前読んでた中村彰彦さんの「関が原合戦 秘められた真相」に載ってたことなんです。

豊臣秀頼のことです。

簡単に書こう、ながくなるから。

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幕末、鳥羽伏見の戦いに最後の徳川将軍の慶喜さんは会津藩、桑名藩そのほかの幕府方が1万数千人集まっているのに、なんと、戦場にはまったく出ずに江戸へ逃げちゃった。それも容保、定敬(さだあき)の会津、桑名の殿さんを連れてですよ。こりゃあ、けしからん。

と、いうのは有名な話。

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もっと古い話ですが、それでも同じ江戸時代です。

1614年から1615年の大阪の陣の話。

真田幸村、後藤又兵衛他の武将が戦っているのに大阪方の大将たる秀頼が全然戦場に出てこない。

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なんでか?

と、これが今日の話題なんです。

これがですねぇ、秀頼はごっつい大きいんですよ。

身長が1m97cmだそうですよ。大っきいで、こりゃぁ。

さらにこの戦争が始まる数年まえに家康と会っているんですが、家康は秀頼を、「これは人の上に立つ人間だ。これをこのままにしておいては徳川の天下の障りになる。」と参謀長の本多正信に話すと、正信は策を授けたそうな。

これが、酒色におぼれさす作戦とのことで、またこれが、若いからすぐにはまるわけです。

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その結果若いのにブクブク太ってしまうわけで、それだけじゃなく、酒色にひたるわけですから、、こりゃぁいけんでといった顔つきにもなるわけで、なんとも、馬にも乗れない。

あ、これは、当時の日本の馬はテレビで見る競走馬のサラブレッドとか、アラビヤ馬とかいった600キロとか体重のある大きな体格ではない、小さな馬なんです。

テレビドラマとか映画では日本馬がそろわないからサラブレッドなんかが登場するけど本来は小さな馬なんですよ。

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で、これに1m97cmのブクブク太った秀頼が鎧をつけると200キログラムほどになるのではと思われ、これは、もう、戦場に凛々しく馬に乗って出て行くのは無理というものです。

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なんか、馬鹿な話ですよ。ほんとなら。

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でもそんなもんかもしれません。

決してドラマチックに歴史が変わっていうわけじゃないもんなぁ。

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現代だって、政治家に投票するのに「かっこいいもん?」だけで一票入れる人多いんじゃないかな。

司馬遼太郎さんの「この国のかたち」を呼んでるんですが、文庫本です。

開くと紙の1ページ外側三方が黄色くなっている、文庫本。

前の持ち主が読んで、ずっと本棚へしまってたんでしょう。

さて、この本読んでるとブログが書けない。

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なんか、そうなぁ、作者のいうことが、すべてもっともだと、そんな感じになって、司馬色を塗りたくられて、なんにも出てこない。

簡単な文章で書いてあるのに。

まあ、でも、書くとすれば、富永仲基のことが阿弥陀さんのところで書いてあったりし、この富永さんのことで覚えてるのが、

「きてみれば 聞くよりひくし富士の山 釈迦や孔子も かくやあるらん」

と、おもしろい句を詠んだのを覚えてる。

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なんと釈迦は救済などということはなにも言ってないとか、ましてや墓なんぞまったく考えてなかったとか、いやはや、ちょっとは知ってたが、あらためて、驚く次第。

そしておもしろく読んで、そうすると司馬色にておぼれてしまってるようだ。

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もう一つあった。

分かりやすいのが。

江戸幕末時にオランダからポンペという医者が来たんです。

勝海舟がまなんだ海軍伝習所ですよ。

ポンペは松本良順たちに医学、化学、物理もか?、を教え、日本で最初の市民病院をつくったりした人ですが。

さらにこの人から上野彦馬と言う人が写真の科学的なことをならったんです。

この上野さんが日本の写真館の最初かな。

坂本龍馬の、あの手を懐に入れて少し体を傾けた写真もこの上野さんの弟子が撮ったものですよ。

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そう、ポンペさんですが、この人、オランダのユトレヒトの大学で学んだそうですよ。

さらにベルギーのブルージュで生まれたとのことです。

これって、去年女将と旅したところではないですか。

ユトレヒトはとてもきれいな、落ち着く街でした。

職人として暮らしていけるなら住んでみたいと思った街です。

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ブルージュは超有名な世界遺産の街。

古い家並みが残る街です。

ちょっと嬉しくなりました。

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