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平成29年7月13日(木)の朝は佐世保で迎えました。

この日は最終目的地の「門司港レトロ」です。こんなの私は一切知らなかったんですが、計画を立てる時に女将が「ここに行ってみたい!」とのたもうたのです。

どこのホテルもあまり変わりのない朝食バイキングを、しかしおいしく食べて、支払いをし、あ、ここはカードのポイントがあったんでとても安くなりました。なんでもつかわにゃ損です。

駅まですぐなんですが、少しは違ったものをと、昨日とは違う道を行きました。

一般の人が交通整理をしていました。

駅に着いて目に入ったのが、Hさんが土産によく買ってくるせんべいが並べてありました。名物なんだ。女将もここで土産にと買いました。

この日の予定はゆっくりです。

出発が08:06でもいいし、08:47もある。さらには09:44でも十分いけるんです。

結果は08:47の「特急みどり8号」です。

佐世保線、長崎本線、鹿児島本線の在来線を200キロほど走ります。もちろんジパングクラブで30%引きです。

この画像は「みどり8号」の窓がえらく光って鏡のようになってたので、夫婦で写真撮った。

で、鳥取に帰ってから、そういえばと思ったことがあるんです。

この佐世保にもアメリカ軍基地があります。横須賀にもある。岩国にもある。三沢もそう。そして何と言っても沖縄です。そして沖縄では以前ほどではないにしても、いろいろな事件が、アメリカ兵に起因した事件が報道されます。だが、他の基地ではほとんど聞きません。なんでかな?と思うんです。

まぁ、基地が日本国内にこんなにもたくさんあるのは何とも言えませんが。

さらに鳥取で、そうだった!と思い出したこと。

考えたら「佐世保バーガー」食べてなかった。

鹿児島でも「芋焼酎」飲んでなかった。ホテルの売店に売ってあったのになぁ。

本場で食べて、飲んでみたかった。

そう思う。

この時は、そんなことも思わず列車は佐世保を離れていきました。

博多まで2時間ほどの列車行です。

途中佐賀の手前かな。

また広い平野がありました。佐賀藩でしょう。薩長土肥といわれ、幕末には官軍方の代表藩でした。アームストロング砲を製造できたのが一つの原因でしょうが、その他にも蒸気船、製鉄等、薩摩藩より進んでいたかもしれません。人物もだしています。江藤新平、前島種臣、大隈重信なんかが記憶にあります。

薩摩では西南戦争がありましたが、佐賀ではそれより前に「佐賀の乱」がおきています。やはり大久保利通をトップとした明治新政府に治められていますよねぇ。確か斬首された江藤新平は新政府の要人だったのになんともです。人間てのはボスは少数でしか生きられないのかもしれない。

少し調べてみると佐賀は35万7千石だそうな。鳥取は30万石だからそんなに違わない。だが薩長土因とはいわない。

鍋島閑叟さんがえらかったのかな。でも教育とかもかなり厳しい藩だと記憶している。

そうか、広いから熱気球の大会が出来るわけだ。

終点博多には10:34着です。

つづく。

 

 

佐世保も長崎と同じでけっこう山の斜面に住宅が建ってる。いい港があるところは地形も似ているのかもしれない。Hさんの家もそうですよ。その隣はその斜面の少し上にある。

水害には強いで。

一度ホテルに帰って、夜に佐世保駅の近く、居酒屋で集まることになりました。

画像は駅前の通りです。鳥取よりも賑やかです。

駅の建物を向うに抜けると、なんと海。駅と海がすぐなんて、初めてかな。

船着き場があるんです。五島列島に行く船らしい。どこまでも港の町らしい。

またビール。普段太るからとやめてるビールをこの旅行では毎日飲んでるんです。ヘルスメーターもホテルの部屋には置いてないし、たぶん太ってるんじゃないかなと、思うんです。

血圧は毎日測ってます。その値は乱高下です。旅だからねぇ。

佐世保の居酒屋で飲むなんてこれまで予想してなかったですよ。運命というか、一寸先は闇とかいうけど、闇ではなく光かもしれないし、まぁ、一寸先は居酒屋なのかなぁ?

考えてみれば、Hさんとの付き合いは高校以来だから、なんとうちの奥さんよりも長い付き合いなんですよ。いままで女将ほどながい付き合いの人間はそうそうおらんと思ってたりしたが、いるもんだで。あ、クラブの他の連中もそうだ。

喋って飲んで、ごちそうさまでした。そしてHさん佐世保の案内ありがとうございました。

佐世保の夜は更けていきます。歩いてホテルへ帰りました。

そしてこの夜も、血圧を測り、大きなダブルのベッドの上、女将と二人連れで何事もなく無事に朝を迎えるのです。

 

盆が近くて忙しいんです。

暑いのに今日は「桜土手どら」を一日焼いていました。そういえば盆の時期の和菓子を載せていません。とりあえず盆菓子を載せておきます。

食べれます。と、いうより食べておいしいものです。

いわゆる落雁です。

さて、女将は閉店後もまだ仕事です。仕上げの部分で、私が手伝うとかえって叱られる。で、丁寧に「なんかやれることはないか?」と問うと、夜の食事用に「おこのみやき」を作ってくれたほうがいい。との弁。

今作っています。おいしいのを。

さて佐世保に着いたところでした。

一体に佐世保とはどんなところなのか?行ってみたかったんです。毎年クラブ仲間のHさんは車で鳥取へ帰って来るんです。かなりの距離があるのにですよ。若い頃にはホンダライフで帰ってきたこともありました。軽ですよ。軽。

私の知識と云えば軍港。造船の町。といったところです。実際に行ってみてもそうでした。

長崎もそうですが佐世保もよほどに地形がよかったようです。そう、港です。両方とも端っこですよ。だのに長崎本線。佐世保線。とわざわざ鉄道を付けてる。重要港なんでしょうねぇ。

長崎は江戸時代に唯一の世界に開いた小さな窓でした。佐世保は明治のころから鎮守府がおかれ、要するに海軍基地があったわけです。じっさいに日露戦争のおりにバルチック艦隊を文字通り完膚無きままに撃破した帝国海軍はこの港を日本本土の最後にして出航したと思います。

現在は自衛隊とアメリカ海軍の基地があります。そして佐世保重工とかの造船所です。いやぁ車で案内してくれました。楽ですよ。車は。

この日長崎のグラバー園へ行き大変汗をかいて、Tシャツをきがえたんですが、考えてみると、これから先のTシャツが足りないんです。で、車に乗るなり言ったのが「ユニクロが近くにないだろうか?」でした。

結果は「しまむら」へ行きTシャツ二枚買いました。二枚で千円。安いです。

そしてここは軍港なんで。護衛艦も見えます。この日は舞鶴ほどではなかったです。

これは佐世保重工だったかな。見たことない運搬車が停まってた。

ここは佐世保を展望できるところです。我々夫婦だけだと絶対に来てない。

友あればこそですよ。

おらおら、佐世保だで!

九十九島だで。島だで。ほんとはいくつあるのか?九十九島あるで。

港をアップで見ればヘリ空母の「出雲」が停まってる。

太平洋戦争以来ざっと七十年ぶりに日本が持った空母だで。いま日本に二三隻あるんじゃないかな。これも他の船と同じく護衛艦と云っているのかな、たしか。いろいろと無理があるで。

で、ワシら。

佐世保記念だゎ。

そしてHさんの自宅です。これは自慢の庭です。自分で整備したというから、なんともえらい。そういやぁ、Hさんの父親もそうだった。血だで。ワシなんか絶対にできない。

おいしいコーヒーも飲ませていただきました。

それも自慢のカップに入れてくれました。いいですよ、こんなの。これって幸せを絵にかいたような。といえるんじゃないかな。

(このブログ、昨日11日そして今日12日と二日がかりです。)

つづく。

この旅に出る前には、その主目的は鹿児島、薩摩でした。それに長崎にちょっと行ければ、長崎に異国の匂いをみることができればそれでよいと思ってたんです。女将は女将で肥薩線とか、最後の日には門司港レトロとかが主目的でした。だからもう一つ長崎の下調べがなってないんです。行ってみれば現地というのはいろいろあるものです。

長崎に落とされた原爆は「ファットマン」と名付けられていました。広島に落とされたのは「リトルボーイ」です。アメリカらしいですねぇ。誰もが想像する以上の破壊力を持つ、とんでもない悲劇の元の爆弾です。これに「小さな児」と「太っちょ」なんて、人を食っています。なんともです。被害を受ける方は冗談じゃない。

さて、旅行です。

次は佐世保へ向かいます。

ここには高校の時のクラブで一緒だったHさんが住んでいるんです。以前から佐世保のことは時々耳には入っていましたが、長崎まで来たんだから、佐世保にも寄るか!といった気持ちなんです。

昼過ぎに出発で二時間ほどの距離です。ホームに出ると「シーサイドライナー」は入線していました。まだ扉は開いてない。

「ハウステンボス号」(?)も見える。

だが、両方ともなんかさえない。特に我々が乗る「シーサイドライナー」はなんだ?山陰本線を走ってるごっついローカル線の列車みたいじゃないですか。佐世保行きじゃなくて倉吉行じゃないのか?JR九州とは思えない。

画像は長崎のホームなんですが、ここは始発であり終点です。長崎本線の端っこですよ。さらにこれから向かう佐世保も端っこの駅です。九州で列車に乗り始めた枕崎駅もそうだし、九州最後の旅の駅、門司港駅も端っこの駅なんです。まぁ、端っこまで行かな変わった面白いものはないですって。

長崎を12:04に出て佐世保が13:51です。ホームにいる時にHさんから携帯にTELありです。

「シーサイドライナ―」のシーは大村湾です。シーサイドは大村線です。

大村には昔海軍の基地がありました。三四三空が四国の松山ではB29がやってきても、前もってきちんと情報が入らない。だって海の方からやってくるわけで、情報所というか、見張りの施設が無いわけです。新幹線よりも二倍以上のスピードで飛んでくるわけで気が付いた時には日本の陸地上空を超えてたりもあるわけです。だからうんと内陸側に移ったようです。

女将の父親はこの部隊だったので、長崎の原爆の爆発を目にしたとのことです。

途中。なんだよ?これ「シーサイドライナー」だで。ワシらが乗ってるのとはえらい違うじゃん。とになぁ。

あら?ハウステンボス号もええのがあるがなぁ。ほんになぁ。

途中ハウステンボスの一部が見えた。ようもこんなの作ったもんだで。路線図を見ると「ハウステンボス駅」があるんです。これと同じような駅が次の日、門司港へ向かう佐世保線から鹿児島本線に入り「(臨)バルーンさが駅」てのもあった。ついでに佐賀駅の手前に「鍋島駅」があるんです。これって鳥取で云えば鳥取駅の隣に「池田駅」があるんと同じじゃない?おもしろいですよ。

佐世保に着きました。

改札口の手前から見える。Hさんがビデオカメラを構えてこちらを撮っている。そういやぁ鳥取でOB会開いたときにもこのカメラを持っていた。

そして教えてくれた。

佐世保は日本での最西端の駅だそうな。

いや、待てよ。このたび枕崎線の「西大山駅」が最南端だったし、二年前の「稚内駅」が最北端。ということは、あと最東端に行けば東西南北を征服することになるではないか。

いや、行かんで。

つづくです。

この数日間台風5号の影響で、河川の氾濫のニュースが流れました。幸いにも鳥取はさほどの被害はなかったようです。智頭町の警報、土砂崩壊避難勧告も解除されたようです。

しかし今日の雨を見てもスコールのようで、もう異常気象とかじゃなく、気温にしてもそうですが、かっての日本とはちがうようです。

先の日曜日8月6日は広島の原爆の日でした。私としてはゆったりした日曜日の朝でしたが、テレビは夏の平和公園での催しを映してました。これに比べて、こういったら失礼ですが、明日9日の長崎原爆の日はもう一つ一般の人の関心が薄いような気がします。私も含めてのことです。

さて7月12日の長崎平和公園へ私たち夫婦は向かっていました。長崎電気軌道に乗って出島を目にし、長崎駅前も過ぎ、そう、このブログで「浦上駅前」で降りたと書きましたが、間違いです。JRの駅としては平和公園へ一番近いのですが、路面電車ではそうじゃない。下りたのは「松山町」です。乗り合わせた中国語を喋る若い両親と子供二人の一家もおなじくでした。以前にも書きましたが、この家族、あつかましいような観光客ではなく母親は隣に座る小さな娘をいつくしんでいるのがよくわかる、ほほえましい一家でした。

停留所から歩いてすぐのところに平和公園入口がありました。広島では平地でしたが、長崎は丘です。

しかも、なんとエスカレーターが設置してありました。グラバー園と同じです。そりゃぁ、楽ですよ。エアコンはないけども。

いくつかエスカレーターを乗り継いで、丘の上に着き、歩くんです。あの有名ななんというの?片手を横に、片手を上にあげた像のある所を目指して荷物ひっぱりながら歩くんです。と、途中に刑務所跡のセメントの基礎部分が残してありました。方形の基礎のセメントからは建物の壁を繋いでたろう、たくさんの錆びた鉄筋が出ており、すべてが同じ方向に曲がっていたのではなかったか。こう、巨大な力で横方向に引きちぎられたような。70年を超える年月で黒くなったセメントのそんな地面でした。

この場所は爆心地から200メートルくらいのところでしょうか?ここはおそらくなにもかも破壊しつくされた場所でしょう。

で、噴水。水です。被爆者が求めたものは水でした。

「油の浮いた水を飲んだ」と、子供の文章が書いてありましたが、異常さに、痛ましいです。

そして長崎で象徴的な「平和記念像」です。これを見れば、長崎の平和公園に来たのだ、と、そんな気になります。像というのはすごいですねぇ。その意味の深いのは仏像がそうですし、桂浜の龍馬像も、極めて印象が深い。

天をさす右手は原爆の脅威を。水平に伸ばす左手は平和を象徴しているそうです。さらには原爆犠牲者の冥福を祈っているとのことで、さまざまな意味で長崎だ!と感じます。

ここまで来て、荷物もあり、暑いし、だいぶバテテる。でももう一か所くらいは行くで、と思ってた。ここからエスカレーターのところに引き返せば、最初に見た標識にある原爆投下中心地に行くのもわかりやすいだろうとは思ったが、でも、そうはしないで、エネルギーの無い冒険心で少し奥へ歩くと降り口があったので、その階段を下りたんです。

もと来た入り口付近に降りるんだと思ってた。

結論は違ってた。

しばらく歩くと、大きな浦上天主堂が見えてきた。だがそれは、また丘の上に建っている。階段が見える。これはかなわない。

ほら、ヨーロッパの城みたいですよ。え、また上がるんかい?右足の親指はしっかりと内出血のようになってるんです。

で、撤退ッ!と、路面電車の停留所はこっっちかなと、歩くんですが、どうも方向がちがってたようです。

このあたり地図も持って無いし、要は下調べがほとんどされてないわけです。だから時間の振り分けも少ししかしてない。時間的にここは昼までなんです。加えて暑さと私の体力の無さですねぇ。どうもどこに行くのも、まず体重を落とさないけんで。あ、でも二年前の礼文島は5時間歩いてた。そういえばその時も、今回も、女将は元気でしたよ。なんでかなぁ。普段は「あぁ、疲れた。死ぬかもしれない」などと云ってリビングに倒れていたりするのだが、いざとなれば、暑さにも、引きずる荷物にもめげずに元気なんです。

ひょっとして、これが女の人が87歳、男は80歳という平均年齢の差かもしれない。

見知らぬ街並みを歩きながら、工事をしてるのか?作業服を着ていた人に電車道を聞いた。これが期待以上の親切さ。観光センターの人のように分かりやすく答えていただきました。おかげで、やっと停留所へたどり着いたんです。このあたりずっとシャッターを押してない。そんなエネルギーはない。

ほんとは、まだみるべきところあるのにねぇ。

で、エアコンの効いた長崎駅の駅ビル(?)でしばらく休みました。次は佐世保へ行く予定なんです。すぐ近くにパン屋さんが見える。そこで昼食にとサンドイッチと飲み物を買いました。

長崎駅の写真も撮ってないで!なんということでしょうか!

つづきます。

 

 

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