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昨日は「しゃんしゃん踊り」でした。

雨乞いを発祥とする傘踊りです。

そして今日は「花火大会」で、ましてや「敗戦記念日」です。

いや最近は終戦記念日というのかな。

日本人が300万人くらいでしたか?なくなりました。

当時たしか6,000万人の人口でしたから大変な数の若い人たちが亡くなったのです。

やっぱり、日本として太平洋戦争というものをどういうことだったかと、追求せねばならないのではと思うんです。

さまざまな視点もあり、でもありのままを、むずかしいけど、こうだった。こうだった。と積み重ねて追及することが大切なんじゃないかと。和菓子屋は思うんです。

で、昨日の続きです。

葵の紋ですが、これは去年も書いていますが家康が浄土宗だったので、浄土宗の寺には葵の紋が許されるのです。

おおちだに神社は鳥取藩の池田さんが家康の孫だったかな?嫁にして、さらに「因幡東照宮」を造り、藩の安泰を策したわけです。

ちょっと言い方が粗野かな、ごめんなさい。

「おおちだに」とても好きなんですよ。

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家康の9代前かな愛知県の松平というところに時宗の坊さんがやって来たんです。

時宗とは一遍さんですよね。

やはり「南無阿弥陀仏」です。

さて、名を徳阿弥という。

この阿弥というのはたとえば観阿弥、世阿弥とあるように、人間世界の、社会の序列、地位戸かを無視して生きる人たちなんです。

将軍と同じ部屋で話もできる。

そんな社会の智慧なんでしょうか。

で、その徳阿弥さんは最初酒井さんのうちに泊まったんです。

と、ここで娘の腹を大きくしたんです。

当時よくある話らしいですがねぇ。

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次に泊まったのが松平さんちだったんですが、またここでは一人娘に子供ができちゃった。

なんということでしょうか?

仕方なしに松平さんはこの男を養子にしたわけです。

これが松平の、たとえば会津の松平容保さんの名字の発生なんです。

鳥取の池田の殿さんも松平ということが許されてたんじゃないかと、どうなんか。

その後時宗の人たちが浄土宗に含まれていったんです。

ところでこれがきっかけで酒井さんは代々老中を務める家になったそうな。

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でまぁ、家康は浄土宗となるわけですが、人間てのはなかなか簡単にはいかない。

家康が若いころ領地で一向一揆がおこるんです。

これもやはり「南無阿弥陀仏」です。

えらいことです。

家康はさっきまで家来であった、命をかけた戦場に一緒に戦った家来と敵として闘わねばならなくなったのです。

後とても親密になった本多正信もこの一人でした。

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この時家康の力となったのが「南無妙法蓮華経」の大久保家だったわけです。

なんとも、人間とはわからない。

ま、とにかく家康は天下をとって、征夷大将軍となったわけで、その天下は270年続くわけです。

いや、家康ほどの苦労はなしに、続くわけです。

我が家の菩提寺の葵の紋でした。

大きくなんと忘れてたことがあったんです。

13日に迎え火焚くのを忘れてた。

こういうことにやかましい大女将もなにも言わなかったんです。

まだ暗き14日の早朝はたと気が付いたんです。

私焚きました。

14日の5時半に。

前の豆腐屋さんが自販機でコーヒー出しながらおがらの燃える臭いを感じたのでしょう。

「おはよう。」と不思議な顔で言ってた。

ご先祖様申し訳ない。

きっと13日の夜は帰る家がわからず野宿でもされたんでようね。

ばちあたりです。

ところで8時になるとどーんと花火。

雨もやみ始まりました。

「あ、行かないけん。自転車で行かないけん。」

料理は途中ですてて花火の上がる千代川へ出かけました。

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昨日は「さやんしゃん祭り」で私は夕飯のでっかいお好み焼きを造り、さて今日は女将は料理途中で千代川へ。

でもね、この花火の打ちあげる連続の音のなかで、玄関のチャイムを押すやつがいる。

佐川急便の若者でした。

「まだ仕事か?」

「はい、でも。まだあります。」

ねぇ!

誰にも文句いっちゃぁいけませんて!

なにごとも南無阿弥陀仏か?

南無妙法蓮華経か?

酔った。

12日に行きました。早朝です。雨降らず。

我が家には二つの墓があるんです。

我が家先祖、400年前くらいからの先祖の墓と、近年の、だから、祖父、祖母たちからの先祖ですよ。

毎年のことながら、やはり、なにか忘れ物があるんです。

線香?ローソク?それに火をつけるライター?

で、やっぱりなぁ。

それは、言わない。

女将と二人で墓参り。

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去年やはり同じところから写真撮ってる。

そしてまた葵の紋です。

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水戸黄門だったら、この紋が目にはいらぬか!?

といったことになるのかもしれない。

権威というのは適度に庶民の味方であればいいものの、決して庶民のものではない。

民主主義のありようではないのである!

なんてね。

この菩提寺の葵の幕の歴史です。

そう、じゃぁ、なんでこうなったのか?

明日記します。

10日のことでした。

薄明の朝5時5分に蜩が、そう、道路はさんだところにある糸杉からでしょうか?

カナカナカナカナ、カナカナ、と鳴いたのです。

今年初めての近さです。

それは「早く聞きに来いな。早よ来んと鳴くのが聞けんんようになるで。」とでも伝えに来たように思えたのです。

はいはいと、台風11号の影響で小雨が降る中、女将を積んで出かけました。

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「おおちだに」です。

しばらくの雨で、さすがに水の流れる音はしっかりと聞くことができます。

だが、肝心の蜩は聞こえない。

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いや、一匹聞こえた。なんだよ、一匹かよ?

と、がっかりです。

雨の風情にまぁええかと少しあきらめ気味で奥へ進んだのです。

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と、あらら、「つくつくぼうし」ですよ。

神社の前あたり。

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「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ウィオース,ジーッ。」

それとも

「ウォ‐シンツクツク、ウォ―シンツクツク、ウィオース、ジーッ。」

文字で入力するとすごいわなぁ。

長いし手間がいります。

でも、聞くことができ少し得した気持ちになりました。

で、そのままさらに奥へ進むんです。

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進むうち、「カナカナカナ。」と一匹。

さらに少し距離をもって一匹。

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ところが宮池ちかくになると聞こえてきました。

中学校くらいの合唱団。

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去年と違ってしっかりと水をたたえた池に来ると、高校の合唱団。

よし、じゃぁ、池の向こうまで行ってみるかと、傘をさしながら進むと、そのカナカナがどんどん大きく耳に寄せてくるんです。

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池をすっかり回るころになると、蜩時雨ですよ。

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ほら、聞こえるでしょう?

はは、無理か?

なんなのか?すごく情感を感じます。

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これが晴れだったらもっとたくさんの蜩が鳴いていたに違いないのですがいやぁ、十分。

小雨は小雨の情緒をしっかりと堪能しました。

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で、この10日の日曜日、散髪もし、少しさっぱりしたかな。

台風が近づいているせいなのか蒸せます。

夜が寝れない。

他所の県では大変な雨のようです。

鳥取ではもう少し降ってほしいと思うのですがどうなのか。

降りすぎるととんでもないことになる。

おおちだにの宮池が枯れないでいてくれるくらいに降ってほしいものです。

さて、暑いと頭も回らない。

元から回らないものが、まったく回ろうとしないのです。

困ったもんだ。

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気もなえる。

だが、元気な若者もいるもんだ。

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先ほどのニュースではこたびの甲子園野球に、鳥取八頭高の対戦相手は秋田県の角館の高校だそうな。

その二校のキャプテンの姿が画面にでたが、両方素朴な顔をしていた。

日本を動かすのはこんな若者が動かすんですよ。

都会の鼻先ばかりの(いや、ごめんなさい。)若者では大きなことは出来ないんです。

貴族の世の中を変えたのは京都の若者ではなく鎌倉の田舎ものでした。

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二百数十年続いた絶対的な徳川幕府を倒して明治維新をつくったのも、本州の端、九州の端、四国のあとは太平洋といった端っこの国々でした。

日本の将来は鳥取県や秋田県が中心になってリードしていくんです。

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これからだ!

まず、八頭高がんばれ!

に三日前に梅雨が明けたとNHKテレビが言っていました。

その一日前くらいから散歩の時に「セミ」が、あれ?鳴いている、と、そう、思ったのです。

これが、梅雨が明けると、はっきりと鳴きだした。

いよいよ、夏の到来です。

散歩も往路はいいが、復路は、、、、、暑いで。

で、夏らしい画像です。

去年の画像。

竹野海岸へ行った時のそれです。

去年載せなかった。

まぁなぁ、載せさせない神さんがいたんですねぇ。

今はその神さんが昼寝してるから、その間の画像です。

しょっぱなです!

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これ、どう?

ごっつい綺麗でしょ!

これが、竹野海岸なんです。

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もっとも鳥取から竹野海岸までの海はどこもとてもきれいでした。

去年九月の画像です。

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