» 本を読みました。のブログ記事

かって知り合ってた銀行員のSさんが、鳥取へ支店長となって転勤してきたんです。

今日は買い物に来店でした。

結局買い物より長い話となってしまいました。

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さてそれはそれとして、10日ほど前でしょうか、本を読み終わりました。

「空海の風景」というもので、あいかわらず作者は司馬遼太郎さんです。

まず、空海っていう名前なんですが、西暦800年前後のころとは思えない。

すごくいかした名前ですよ。空と海って近代的だとおもいません?

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で、空海さんは天才です。遣唐使船に乗って唐へ渡るんですが、これが30歳少し前かな。

中国の言葉もできるし、漢文もしっかりしているんです。

ちょっとなぁ、信じられない。

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偶然というのはあるもんで、この遣唐使船が4隻で出発するんですが、なかなかきちんとは唐の都へは行けない。

一隻は難破。空海の乗った船もとんでもなく南へ着いてしまうのです。

ところが2隻目の船は比較的うまく着いて乗っている人たちは先に都の長安へたどり着くのですが、この団体に最澄さんがいたんです。

空海さんは日本へ真言密教を伝えて、完成させ、高野山に修行場をこさえ、最澄さんは天台の教えを日本へもってかえり、比叡山で天台宗を開くんです。

後の平安時代の代表的な二宗教を始める二人が同じときの遣唐使船に乗ってたってのは、なんかすごいですよ。

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そうそう、二人は最初のころは仲がわるくなかったんですが、6歳年上の最澄さんは極めて真面目な人で、お経から学ぼうとする最澄さんと、行をしながら体得する空海さんの密教の違いというのでしょうか、別々な形になってしまいます。

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そうそう、有名な話に空海さんが悟りを開いたときというのがあって、場所は室戸岬の洞穴なんですが、今もあるそうな。

そこにはいると、目に入るのはまさしく空と海だそうです。

そこにいるときに金星が迫ってきて、なんと、空海さんはこれを飲んだそうな。

大きな口ですねぇ。

これは唐へ渡る以前のことです。

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さらにそれまでは他宗との出入りを自由にしてたものを、他宗お断りにしたのは空海だそうで、その後一つの宗派はその宗派でもって他宗との自由な交流は禁じたようです。もっとも、高野山へ行ってみると様々な宗派の信徒が参っているようでした。

また、比叡山には鎌倉期に宗派を起こす、たとえば法然、日蓮、栄西とかが修行したところでもあります。

空海さんは弘法大師、最澄さんは伝教大師といまだにその名は千年を過ぎても伝わっているのを見ると、大変な影響力があったのでしょう。

どうも、わしらとはえらい違いだ。

あ、えらく簡単にすぎてしまいました。また、載せるかもしれない。

0すなわち零ってのはインド人が発見というか、発明というか、その概念を作ったのです。

と司馬遼太郎さんの対談集に書いてあった。

0がインドから日本へ伝わってくるあいだに、中国あたりで空となったそうな。

空とはほら般若心経にある「色即是空 空即是色」の空ですよ。

有でもなし、無でもなし。

桜が満開も、空。

冬に花もなく枝だけのさみしい姿も空だそうな。

そんな「空」です。

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ゼロと空ってのはサンスクリット語では両方「シューヌヤター」と表現されるそうな。

ゼロってのは無限大とか無限小とかそんなことを考える能力があるってことで、思えば昔のインド人がそれに気づいてくれててよかったとそう感じます。

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でないと我々普段の話も小さくなってしまうに違いない。

ただ「空」のほうは難しいで。

まぁ、縁起とかがからまってくるんでしょうねぇ。

そうだ、G7がきっかけで、かってのアメリカをはじめとして連合国の外相が広島の平和公園を訪れたそうな。

長い時間がたちましたが、よかったです。

シリアからの「難民」といわれる人たちがヨーロッパへ避難しようとするたくさんの人達、どうなるんでしょうか。

いつでも被害は庶民に色濃くかぶってきます。

金をとって逃し屋ってのがあるんだそうで、なんともです。

でもないよりいいかもしれない。

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ところで司馬遼太郎さんの対談集です。

まだ読んでる。少しづつ。なんどもこれら載せようと思ったのあるんですが、これがなかなか大変なんです。

まとまらない。

ま、でも、少々です。

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受験戦争という言葉を聞いたのはかなり前ですが、この言葉が無くなっても現状は変わらない。

で、そんな世界を通ってきた若者は、人生観がない。結局手近なお金とか、権力とかに憧れてしまう。

独創性など伸びっこないとある。

そうかとも思う。

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ちょっと残酷な話です。

生まれたばかりの子猫の目を縫うんだそうです。二時間。

で、これを開くようにするのですが、失明状態になるそうです。

光には反応して脳細胞には電気信号が流れているのですが、情報処理機能が発達しないのだそうです。

なんともです。その時期に適切な教育をあたえられないと、本来の機能が得られないということらしいです。

なんか怖い話です。

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で、さらに子猫を白い筒状の部屋に入れ、内側に縦線をひいておく。そこで育てた子猫は縦のものにはじゃれるが、横のものには興味を示さないそうなんです。

で、教育も時期を誤るとまったくこれと同じことになります。と、ある。

怖い話です。

過度な記憶力競争は、着想の能力や仮説をたてる喜びを失わせる。

と、まぁ、ワシはそこまで勉強なるものをしてないから、関係なかろうが、怖いで。

昨日のポルトガルが舞台の映画の原題は「NIGHT  TRAIN  TO  LISBON」でした。

さらに日本語の題名は「リスボンへの誘い」でした。

いやはや、わし、いけんで。

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で、1973年(昭和48年)でさえレジスタンスがどうのこうのとこの映画ではあったんですが、独裁政権が政治を握ってたんですよ。

で、私たち夫婦が結婚した年1974年に革命が起きたとのこと。

さらにこの年の前後に各植民地を失うことになったようです。

と、いうことは檀一雄さんがポルトガルへ行ったのはまだ独裁政権の時代ではなかったかと思います。

「来る日去る日」の庶民は明るかった。

そうだ、高倉健さんがこの檀さんの跡をテレビ番組で追ったんですよ。

このブログでも載せてる。

どこかに。

ヨーロッパの西の端のことがらです。

知らんかったです。

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ポルトガルからだと思うんですが、信長が西洋鎧を着けて、さらにマントも身に着けていたりするんですが、司馬遼太郎さんの対談集では、その時代に世界の流れ、変化を承知してたのは当時信長だけしかいないのではないかと、ありました。

地球儀も手に入れてる、地図も手に入れてる。

世界の大航海時代の流れに身を置いて、「日本」を眺めてる。

そう、云ってた。

そんなに教養はないものの、直観力がすぐれてるというか、天才なんですよ。

明智光秀は秀才?真面目?とてもいい人だと思います。

家来として仕えるならなら光秀のほうがいいと思いますよ。

あたりまえの良さがあります。

順当な世界があるんです。

だが、謀反の時にはだれも光秀に仕えようとするものは従来の家来以外はいなかった。

力?大きさ?実力を認めなかったのでしょうかねぇ。

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で、信長さんですが、そういった人物が他に日本にいたか?と考えると、それは幕末の勝海舟だと述べてるわけです。

幕末当時の幕府がつぶれかけてるときに江戸城無血開城をしてますし、これは大人物の西郷さんが相手だからできたんでしょうが、世界のことは勝さんがより承知してたとのこと。

故に外国の介入を許さなかったわけです。

日本が植民地になるのを防いだわけです。

咸臨丸でアメリカに渡った時にも次の時代の日本の姿を胸の内へ描いてたようです。

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話は変わります。

この画像は仁風閣の説明文を読んでる女の子ですが、元気みたいで、体を動かしながら読んでる。

もちろんすれちがう時、「おはようございます。」との挨拶。

元気ってのはいいですねぇ。

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画像はまだかなりあるが話は終わりです。

困った。

画像のみ、つづく。

鳥取の言葉というのは東京に行っても、大坂でもそんなに苦労せずにその都会の言葉に溶け込むことが出来ました。

だがその裏では因幡の方言が失われていったかもしれない。

さて、画像ですが、昨日は東京便の着陸の画像でしたので、今日は離陸の画像です。

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私の好みですが、B737です。

画像クリックすれば大きくなります。

機体もよく見えます。

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ものすごく少しずつなんですが、相変わらず司馬遼太郎さんの対談集を読んでいるんです。

で、対談の相手は誰だったか?とにかく偉い人ですよ。

その話です。

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かって明治の時代に誰もが使える言葉を作家といわれる人たちが苦労しながらあみだしたとのこと。

代表的なのが夏目漱石だとのことです。

「吾輩は猫である」なんてのは、中学時代に我々が読んでも簡単に読めちゃった。

それ以前にはそんな文章は無かったそうな。

そりゃぁそうだで、各藩に分かれていたわけで、共通語は手紙です。そうろう、候文の手紙ですよ。

この当時電話があったとして、なんにも役に立たないと思うんです。わかり易いのが、薩摩と津軽の人が電話口で、話が通じると思いますか?

これは無理!

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けっこう、今あたりまえのような、そうなぁ、NHKで言ってるような言葉はあたりまえでなかったわけです。

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で、今日の主題はこれからで、標準語とか共通語とか、これは論文を書こうが、そう、電気製品の説明書にも使える極めて便利な言葉だそうな。

ところがこの言葉で、人?人が生きる?そんなことを追及すると否定せざるを得ないとのこと。

なんか、わかる気がするんです。

その、関東の人は冷たいと思ってた。

それは今たぶん言葉によるのではなかったかと思うのです。

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それで、方言で、たとえば代表的な大阪の言葉で人生を突き詰めていくと、面倒くさくなってしまう。

と、記してある。

わかる気がします。

たとえの言葉が「しんどい」という言葉。

これは「しんどい」ので、じゃぁほかの鳥取の「えらい」とかの言葉ではやはり違う。

そんな、「土語」というそうですが、感情とかはこの方言でないとあらわせないとある。

そうだで、これは。

人工的な言葉と、その土地の言葉は生活感があるかないかですって。

あ、いや、夏目漱石はそこも追及していると思いますよ。

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生き死にの話は生活感のある方言で話さないけんって。

土の言葉で話さないけんわい。

そこには先に生きていこうとすることが流れているに違いない。

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鳥取で生まれた人は鳥取に帰って来てください。

元気になるから。

そう思うんです。

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