(画像はテレビ画面です。)
今年は次々に知っている人が亡くなります。
このブログへも記しましたが、弊店の斜め前の洗濯屋さんのおばさん。
そのほか隣のおじさん、前の豆腐屋のおばさん、町内でもつぎつぎにありました。
さて、昨日、今日。
今日の夕方高校のクラブのときの同級生のお母さん。
亡くなったんです。
40年近く前に私のお茶の師匠でもありました。
急でした。脳出血でした。
棺のなかで元気な時と同じ顔で眠っていました。
明日が通夜ですが予定が許さず今日行ってきました。
同級生のHは暇さえあれば鳥取へ帰ってきていました。
この度もそう、
一日に佐世保からの里帰りの途中に実家に電話するも返事なし。
結局倒れているのを発見するのです。
すぐに救急車を呼び、結果4日に亡くなりました。
頭の左に出血とのことで、喋れないまでも左の手は握り返したりと話はできたようです。
そんなことをとつとつと私に喋りました。
うん、うん、と聞くだけです。
明日は別な通夜に行かねばなりません。
I さんです。私より二学年上の親しい人です。
数年前より商売を始め、かなりしんどい仕事をしていました。
昨日夜7時過ぎ、このI さんの娘さんから電話があり、亡くなったとのこと。
え!なんだ!?こりゃ!といった感じです。信じられない。
癌だったとのこと。全身に回っていたようです。
思うんです。
昔、そう、ざっと40年ほど前、私大病しました。
1年7ヶ月の入院。さらにざっと1年の療養。
でも、その後には今までたいした病気もせずにここまで来れたこと。
感謝します。
相手は神様?わからないけど、感謝してます。
さて、あとは二十年?そこまではないかな?
いまとりあえず面白いのは時代小説。早く始めたいのは散歩。
造りたいのはおいしくて楽しいお菓子。
そのほか世の中のいろんなことが解ってくると、体が、エネルギーが少なくなっている。
でも、空元気でいい、
えいえい、おーーーー!と負けずに、日曜日は空山で和菓子教室だーーーーーー!
酔っぱらっとるかな?
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店舗補佐たおちゃんの娘です。
向夏(こなつ)といいます。
現在2歳にまだならず。
この日仕事も早く終わり母たるたおちゃんは、向夏を近くにある保育園から引き取り、店でダンナ様がむかえに来るのをまってたんです。
で、こちらもひまだったので写真撮っといてやるかと、そう、カメラをかまえたんです。そのとたん少し顔が変わったんです。カメラ目線でポーズです。
カメラ用の顔です。
誰も習わしてはいませんよ。
考えるとわが孫娘にもそんな写真があった、、、と思う。
で、思わず「おう!女!」でした。
数枚シャッター押して、「よし、ええのを撮るで!」との意味合いの言葉をいったと思うんですよ。そして、カメラをかまえたのです。
そのとたんでした。
からだ全体で、ポーズをとったんです。
モデルも乗ってきたんでしょうねぇ。
でもなあ、こんなちいさな幼児がこれほどのポーズをとるか?
大笑いです。
でも幼児からこんな性向がずっとあるんだとしたら、ああ、それにひっかかるのは我々男ではないか、ということなんですよ。
喜んでひっかかっていくんですよ。あ~あああぁあああぁ。
と、店の横に白い車が止まり、‥‥‥向夏はおとうさんの姿を発見したんです。
カメラもなにも忘れてすべての関心がそちらへほとばしりました。
うれしいんですよ。なににも変えがたい。
お父さんがすぐ近くに来ると大喜び。
いやぁ、こんな表情されたら、向夏のおとうさんも頑張れるで。ほんと。
これ何の花だと思います?
チューリップなんです。
我が家に咲いたものを店頭へ飾ったものです。
この写真撮っていたんです。
そしてその隣のものも。
これが、この小さなのがナナカマドだろうとカメラをしまいかけたんです。
これでいいだろうと思ったんです。
といいますに最近ナナカマド、ナナカマドとうるさかったんです。女将が、、、、。
「ナナカマドの花が咲いてるで。」
「しっとるでや?ナナカマドの花が咲いとるだで。」
要は写真を撮れとのことなんですよ。
で、先のように撮ったんです。
それを見ていて「ナナカマドが咲いとるだが。外だが。」
うるさいんです。雀みたい。
なんのことはない、店の横の毎日見てる小さな木です。
これを切って店へ飾ってたんですよ。
同じ木だったんです。
花が咲いてました。
これ七竈の木なんです。
知らんかった。
七竈とは、堅い木で七度竈にくべても燃えないから名がついたそうです。
知らんかった。
世の中はゴールデンウイークです。
30日に神戸から帰鳥していた妹二人が1日には神戸へ帰っていきました。
せわしい里帰りです。いまや神戸も甥たちからいえば里帰りする家ともなっているんです。
だから母親の妹も神戸へ帰っていきます。
30日の土曜日はみんなでちゃんこを食べに行きました。
だが、私は風邪。女将は風邪だが関係なさそうに飲み、食べていました。
四代目は女将の息子であればよく飲んでいました。
今日夫婦でひっくりかえっています。
さて妹達の里帰り、次は盆となるでしょうか。
帰るときというのは、なんか、祭りが終わった時とでもいいましょうか、さみしさがあるものです。
もっともバスに乗れば今や二時間半とのことで、隣町といった手軽さもあります。
大連休ではありますがもちろん我々にはない。関係ない。
仕事です。
まず、和菓子から。
練切の鯉です。
端午の節句ももうじきです。
で、訪問者。順番どうりに記します。
まずクリステンさんが息子のマックスと一緒に来店。
7月のおわりにニュージーランドへ帰るとのことで、和菓子教室はいつ開きますか、とのことでした。
マックスはひとみしりが激しくお母さんは大変。
2歳ですが身体が大きく力があるんです。
次には細田。
高校の時のクラブの一年後輩です。
鳥取県庁に勤めていましたが、最近定年になりました。
実家で農業をしています。
時々来店し、弊店の商品を購入していただいております。
とくに定年後は回数が増えました。
そうそう息子は石垣の研究をしていて鳥取城の石垣も修復に加わっていました。
この細田が本を書いたと今日持ってきたんです。
「奥さん、読んでみて。」
題名は「伝えたいこと」すぐその下へ
(伝えたいことは、伝わらぬことである)とあります。
そうです。世の中そうなんです。