» その他のブログ記事
昨日に引き続き 無常 にひきづられていますです。
平家物語です。
大勢の人がこの冒頭部分は耳にして記憶に残っていると思います。
でも、全部は知らない。
だけどすごく調子がいい。無常観キラキラと調子がいい。記憶に残るのです。
耳なしほういちさんには申し訳ないですが記憶に残る冒頭部分のみ記します。
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり。紗羅雙樹の花の色、盛者(じゃうしゃ)必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。‥‥‥
(私は)ここまでですよね。あとはよく知らない。この部分は魅力的。
なにか、すっきりとかっこいいのです。
古文なんて嫌いだったのに、なんなんでしょうか?
毎日がこうも暑くては、早く風呂にはいってさっぱりとしたいものです。
いつも耐水のラジオのスイッチを入れます。
先日のそのとき
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。‥‥」
と流れてきました。なぜかこの文章、ここまでは結構覚えていたのです。そしてその朗読を聴いていると、これがなかなかいいのです。
いや、高校の頃古文なんて、てんで駄目で、授業なんかぜんぜん面白くない。もちろん試験なんていいはずなし。
ところが、覚えがあるのです。
で、なんだったか?従然草 ? あれは つれずれなるまま だぞ。 調べると 「方丈記」。
おお、そうだった。鴨長明さんだった。
下鴨神社の神主さんの家系だったのでは(?)、そうだとすると「みたらし団子」にも関係するぞ!と思いもよらぬことがらも‥‥。
覚えてない次からの方丈記を、ながくは高校時代の古文の授業になりますので、少しだけ。
「世の中にある人とすみかと、またかくの如し。たましきの都の中に棟をならべいらかをあらそえる、たかきいやしき人のすまいは、代々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかとたずぬれば、昔ありし家はまれなり。或いは去年焼けて今年作れリ、あるいは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所もかわらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆうべに生まるるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。‥‥‥」です。
日本人の無常観です。しらず、歳とるたびに身についたものでしょう。
30年前の制服。二人の息子たちが着ていた幼稚園のものです。ごそごそやっていた女将がなにやら持ってきたのです。
「あんたぁ、こんなのが出てきたで。久松幼稚園のときのだがなぁ?なぁ、かわいいがなぁ!」
これを着て、30年前の息子たち、年子の二人は自分の足で知事公舎の前にある園舎へ通ったのです。1.5kmあるでしょうか。帰りはけっこう遅い。
知り合いが
「あんたげの○○君は△△のとこの歩道の端に座って道路工事を見とったで!」なんてよく教えてくれました。
そんなのに、下校の時間が過ぎると母親はしょっちゅう外に出てまだ帰ってこぬかと、帰ってくる方向を見ていたものです。息子たちはあっちを見たり、こっちを見たりと、ぶらぶら帰ってくるのですが、家の方に母親の姿をみとめると急に笑顔になって走って抱きついてきたものでした。
そんなのが二人とも、もう三十いくつです。もう抱き上げたりはできません。その次男が四代目です。
これを入力中女将はちらりと見て
「ちがう、これは作業着だで。」とのことでした。 

