和菓子教室の案内の次はまた神社です。
国道29号の郡家を通るたび気になっていた鳥居。
大きな鳥居です。
三朝の三徳山にも道路に鳥居があるがこんなにドーンと道はふさいでない。
三朝は横に通り過ぎる道が作ってあるんですが、これは大きいし、ドーンとある。
ところが神社らしきものは見えないんです。
手前信号がある十字路へ賀茂神社と彫った石が建っている。
どんな神社か?と大きな鳥居を見たときから気になっていたんです。
時間もあるし天気もいい。
行ってみた。
上賀茂神社まあるが下賀茂神社というのは確かみたらしだんごの発祥の神社のはず。
後で調べたらそうでした。
何故三つ葉葵が使ってあるのか?
聞いたけど分からんかった。
葵祭りが関係するのかなとは思ったけど‥‥。
因幡東照宮たる「おおちだに神社」はやはり葵の紋を使ってる。
これは因幡の殿様の池田さんが家康の孫を嫁にしたりとか、「因幡東照宮」として大御所家康を祭ってるんで、結果この紋も使えて、さらに松平の苗字も使えたはず。と、思う。
さらに、うちの寺である光明時もこの紋を使ってる。
いつも住職に聞こうと思って聞いてないんだけど、池田の殿さんの乳母が葬られているとかで、使用を許されてるのかなと思ってるんだけど、どうなのか?
祠のすぐよこにある、これって、森自体を祭神としてるようです。
いかにも日本的でいいと思うんです。
確か、鳥取藩の神社たる倉田八幡宮にも同じように祠もなしに鳥居があって木々が祭られていたんです。
これってええんじゃない。
神主さんに聞いたんだけど、ここの祭神はかなり多い。
誰だったか?
ニニギノミコト、その奥さんのコノハナサクヤヒメ、その息子のヤマサチヒコ、さらにその嫁のトヨタマヒメが祭られている。
それだけじゃない、そのほかたくさん。
スサノオノミコトの名前もあった。
あとはよう分からんが、オオナムジは見えんかったが、いろいろ名前があるからどうなのか?ただ、素兎の尊というのがあった。
白兎神社から来たものらしい。
この神社、昔は山の上へ祠があったそうで、秀吉の鳥取城攻めの時にはすべて焼かれたそうです。
秀吉としては神より目の前の砦になりそうな建物を焼き払うほうが急がれたのでしょう。
上がってきた狭い村中の道路を再び通って国道まで出るんですが、途中ため池があった。
水連だで。
水鳥もいました。
ねぇ!ええで、これ。
田舎らしさがあります。
ほっとするような原風景のひとつでしょう。
で、また鳥居をくぐり、神社から国道へ、神の結界から人の世界へ帰って来たんです。