» お菓子のブログ記事
朝5時にはもう明るい。
6時ごろ起きて早々にドアを出るのです。
今日もドアを出た。
ちょっと待て、そうそう、、あの~、今日のブログ書くその前に神戸の妹二人からコメントが入ってたのに気がついた。
大女将の猫のことと、私の腹のこと。
なんと上の妹が次男を出産するときに、復位が102センチで歩くのに関節が痛かったとのこと。
そうか、、、、その102センチで今日の暑い盛りに渡り廊下の太いすのこを修理した。孫が帰ってくるから、あぶないからと。
えらかった。
はんぱな汗の出方ではなかった。エアコンかけて、扇風機の前に陣取り、お茶をたくさん飲んだ。
体重は減らなかった。
さて、9日も暑い青空でした。
この日は千代川を西へ渡ってしまいました。
列車を見るなら橋の向こうからもいいんじゃない、と思ったんです。
だが、橋の上は陽をさえぎる物は何一つないんですよ、ほんと。
そんななか高校の女の子が自転車でこんな早くに、たぶん学校へ行くんだろう、自転車をひたすらこいでる。
けなげだわなぁ。こんなの嫁にしたいで。
誰かのいい嫁になるだろう。
千代橋の西側へ渡れば踏み切りもすぐ近くです。
あいかわらずの同じ列車ですが、今日は順序を追って画像をご覧あれ。
まず、踏み切りの「スーパーまつかぜ」が湖山基地から鳥取駅へゆっくりとむかいます。
晴れているからいいんです。
朝日が斜めから強くさしてある角度で列車が光るんです。
その瞬間キラッ!と。
一瞬です。
人間もそうだと思う。
とすれば、私はいつごろ光ったのか?どうなんだ?自分じゃ分からんわなぁ。光ってないのかな?
これから禿げりゃすぐ分かるけどねぇ。
ゆっくり駅へ向かう「スーパーまつかぜ」の前に「スーパーはくと」が同じように先に鳥取駅へ行ってるんですが、これが西へ向かって駅を出発する時間なんです。
だもんで、「まつかぜ」は「はくと」が出発するのを待つんです。
なんせ、山陰本線は単線ですからねぇ。
もっとも鉄のレールはずっと平行線で二本伸びていますよ。
で、すれちがうんですよ。
「はくと」は勢いよく西へ向かいます。
先にいくぞ、とばかりにねぇ。
智頭急行とJR西日本のご挨拶です。
鉄橋を渡る音も忙しい。
この後「まつかぜ」が同じように忙しく、力強く西へ走るわけです。
その下は散歩道。
いいでしょ?
そう、ほんとは最初に画像を載せるつもりでした。
お菓子ですよ。流し物。菓銘は「金魚鉢」。
錦玉に金魚をあしらって、生姜味。
冷やして食べればおいしいですよ。
この夏の逸品です。
5ヶ月ぶりになるでしょうか、また歯医者に通っています。
詰めてあった奥歯の縁が欠けてしみるようになったのです。
早めに行ったほうがいいと行きはじめて先日で4回目。
欠けたところに詰めた後、歯垢もとらにゃならんし、上奥歯の歯肉もやせて本来おおわれている歯の上部がかなり出てきてる。
これもうめなきゃならん、と、いろいろしてれば、こんど火曜日で5回目だ。
一万円弱払ったかな。
けっこうかかるもんだ。
国保だから3万円ほどの、商売でいえば売り上げとなる。
原料費は極めてわずかなもんだ。
たいてい歯科医は治療台を3~4台置いて数をこなすんですよねぇ。
それはそれで大変だろうけど、なりたい学生は多いようだ。
いまや、鳥取では和菓子屋より多いかもしれない。
和菓子屋が虫歯をつくり、歯医者が儲ける。
なんてね。
しっかりと歯をみがこう。さすれば大丈夫。
いまやけっこう目につく街中の歯医者さんですが、これって、幕末にはどうだったんだろうと思うんです。
徳川の最後の将軍は徳川慶喜ですよねぇ。
なんともいえれぬ人です。
まあ、それはそれとして、その前の将軍は誰だか覚えていますか?
紀州から来た徳川家茂さんです。
動乱の時代に数え13歳で14代将軍になるんですが、17歳のときに時の天皇、孝明天皇の妹、和宮親子(たかこ)内親王と結婚するんです。
公武合体というやつですよ。
そして数え21歳のとき脚気で亡くなるんです。
それも大坂でですよ。
中村彰彦さんの「名将がいて、愚者がいた」に書かれているんですが、大坂でたおれたとき、その見舞いの品が書き残されているそうなんです。「御菓子 一箱、懐中ぜんざい、五色砂糖 一箱、羊羹100棹づつ3折、氷砂糖、紅白最中」とか記されているとのこと。
あまりにも、甘い物が多すぎる。と、思う。
歯を磨いてもおっつかんぞ。
さらに、和宮が送った見舞い品は「葛と砂糖」だったそうで、二人はなかもよく善意はわかるが、ちょっとなぁ。
で、後の世、昭和33年に、増上寺の徳川墓所の改築があったとき、えらい先生が調べたそうな。
すると、家茂の、歯。
一本親知らず、これは残ってない。
合計31本の歯があるんですが、このうち30本が全部虫歯だそうな。
なかにはひどい状態のものもあるそうな。
それで考えられるのが、脚気は脚気だがこの虫歯から菌が体に進入して結局脚気衝心をおこした。と考えられるようなんです。
脚気が心臓とかにきたわけです。
で、数え21歳で亡くなるんですが、ほんとに大坂に歯医者はなかったのかい?
歯科衛生士はいなかったのかい?
一軒の現在の歯医者があれば歯痛も口臭も防げたろうにと思うんです。
ちょっと歯が痛いだけでも、仕事にならないで。
30本はかなりきつい、と思う。
内科は松本良順というその時代のトップの蘭法医が脚気と見立てているわけで、だが、歯医者の名前が出てこない。
現代の歯医者が一人幕末にタイムスリップしてたら歴史は、幕府の崩壊は少し遅れていたかもしれない。
あ、でも、明治維新が遅れるということは日本がロシアあたりに牛耳られていたかもしれない。
どうなんだろ?