» 「もなか」といいますのブログ記事
いま「名将がいて 愚者がいた」を読んでます。
もちろん価格は1円。送料250円の文庫本です。
あ、著者は中村彰彦さんです。
私と同級生で、ただ頭の出来が違うだけです。
それに書いてあることなんです。
そう、砂糖の話です。
徳川時代。11代将軍徳川家斉の頃の話ですよ。
在位は1787年~1837年です。
この将軍はすごいですよ。
53人の子をもうけた。
53人ですで。
男25人、女28人というから、
なんとも。
側室だけで16人。
もちろん正室は一人。薩摩の島津から来てます。
で、大奥に600人いたそうですが、この砂糖の消費量が1804年~1830年のころで、一日に白砂糖千斤(600キログラム)だそうですよ。
だからこの頃の暦の一年にて計算すると十五万四千斤(212,5トン)となるんで、ほんとか?と思うんです。
大奥一人一日に1キロですよ。
こりゃあ、ちょっとなぁ、と考えてしまいます。
でも記録にあるのだからそうなんでしょうねぇ。
白砂糖なんか使っているわけですから、贅沢そのもので大奥のまかない料が二十万両に達してたとのことです。
この家斉が将軍についた始めの頃は老中が松平定信ですよ。
この老中が寛政の改革といわれるような倹約を旨とし、さらに、ついでかどうか、まじめだから混浴まで禁止してしまったんですよ。
で、派手な将軍とこの老中は気があわない。
罷免ですよ。
さらに、このころはあの火つけ盗賊改めの長谷川平蔵が活躍したころですよ。
平蔵は混浴も取り締まったのでしょうか?
平蔵が市中取締りに命をけずっているころに、大奥では白砂糖をなめていた。
なんてなぁ、世の中こんなものかな。
昨日は店の休日でした。
と、ながく電話がなっていた。かかると和菓子教室の申し込みです。
今回の最初の申し込みです。
電話がおわってから Mori さんだと気がついた。
正月に干支の巳のそれもほかのとはちょっと違う舌の蛇。
買っていただいた方ですよねぇ!
その時気がつけばよかった。
ごめんなさい。来月15日にお待ちしています。
さらに一昨日は法事でした。祖父と父親、三十三回忌と十七回忌です。
足もしびれた。
そのあとのみなさんそろっての料理屋さんでは、よう飲む。
わしはもう後れをとっている。
妹、四代目夫婦はうわばみだ。
まあ、こういうことがないとそうそうかっての一家が集まってわいわいやるることもありません。
一番喜ぶのはやはり母親ですよ。
普段はつくらぬ朝ごはんをまがった腰でつくってる。
えらいもんだ。
一晩泊まって妹たちは帰っていきました。
普段は巡回バスで帰るのに、今回は雨が降っていたからか、タクシーで鳥取駅のバス停まで帰っていったのですが、画像の行く方向は遠回りになるのにと思ったら、
方向を変えて帰ってきた。
これでいい。これのほうが運賃が安いのだ。
いい運転手だで。
音を聞きながら飼い猫「もなか」もそう思ってたのに違いない。
いや、こいつは、またもとの家になったのでほっとしてるのかもしれない。
さらに、このブログを書いてたら、気がつかなかったことがある。
これもごめんなさいだ。
工場で書いてた。女将は工場の裏で植木を整理してた。
で、店にお客さんが来たのを気がつかなかった。
店に和菓子教室の申し込み用紙が置いてあったんです。
ああ、ごめんなさいです。Tさん、22日にお待ちしています。
ほんと、ごめんなさい。
朝早くから明るくなります。
夏がくるんですねぇ、あの、暑い夏が。
まぁ、今はまだいいですよ。五月ですから。
朝の散歩にでかけるときなんです。
女の人はけっこう支度に時間がかかるんですが、待ってるあいだに「もなか」が窓から顔をだしてる。
この窓は東向きですからまともに陽があたるんです。
少しまぶしそうです。
甘えることしかしりません。
現代のペットのありようでしょうか。
季節は移り変わっているんですねぇ。
忘れずに花が咲くのはすごいですよ。
スーパーいなばを見れば写真撮らなならず。
広島への往復で二度、都合四回乗ったんですが、なんか慣れてきてから愛着ができちゃった。
ペットもそうですよねぇ。
愛着が深くなる。
なのに男女の恋愛はなぜ飽きてしまうのか?
おかしいじゃないか。