» 「もなか」といいますのブログ記事
弥生三月春が来る。
旧暦のほうが適してます。
生きとし生けるものに春が来ます。
受け取りようはそれぞれでしょうが‥‥。
朝の光の中のもなかです。
身体がやわらかです。
陽にまみれるといった様子です。
冬の次は春。
日本の誰にも春なんです。
もなかもこれまでは家のうちで窓をとおしての陽だまりにじっと座ってたりしてましたが。ついに外へ出てきました。
工場へ続く渡り廊下です。
少々寒いのですが、どうも気持ちよいらしく陽光を求めます。
身体にいいんでしょう。
冬の間は多く女将の部屋でこたつの中へずっとはいっていました。
出てくるのはみなの食事の時。
同じように椅子の上へ座り、それもストーブの斜め前。
正面は大女将なんです。
人が居ないときはひたすらこたつ。
でも丸くはなってないですよ。
でれ~とながくなっています。
言わば、こたつで冬眠といったありようです。
これが春の陽光に外へ誘い出されたというとこでしょう。
ただ、なんか毛のありようも、表情もでれ~として、やっと冬眠から覚めたといった感じ。
これから春になる。
今日のニュース。
例の市庁舎建設ですが、市議会で可決。
そんなに日本は余裕あるのかなと思います。
被災者のありようはテレビでさかんに放映されていますし、
ましてやはっきりと現在の建物が地震で壊れるわけでもなくなんかその議員の人たちの気持ちがわからん。
県庁の建物は市庁舎よりも古いのに費用がかからぬようにと配慮してるのですよ。
ところが、なんだ??????????
なんか情けない。鳥取は。
わからん。
暑さ寒さも彼岸まで。
ほんとでしょうか?
彼岸てなんでしょう?
彼岸とは彼方の岸です。
仏になれる最高の彼方のようです。
よく分らんけど、ほらハンニャァハァラァミターーっていうじゃないですか。
このハラミタが最高のといった意味のようで、最高の場所、悟りの場所が彼岸のようです。
よく人は仏にはなれるが神(ゴッド)にはなれないといいます。
ドラマでは死ねば仏です。
これ違うと思う。これは日本人の優しさだと思う。
なかなか人は仏にはなれない。
無理だから、あきらめて、ならない。
でも仏のおしゃかさんはええこといってます。
「すべてのものは消滅するものである。怠ることなく精進せよ。」ですよ。
まさしくそうです。形あるものすべてくずれていき、美人はそうでなくなり、人の記憶もなくなっていきます。
だから怠ることなく精進せんといかんのです。
歳とっても艶があるように、そう、魅力かな、そんな人になりたいが、だめだな。
できない。
出来たらば、それが菩薩そして仏への道なのです。
なんて、思う。